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文章を書くからには何らかの結論があるはずだと考えてしまいがちだけど、実際には必ずしもそうではない。
というのは昨日書いたエントリーを読み返してみて、最後に「リブログ廃人ができあがるのである」で締められているので、これではまるでTumblrについて書いた文章であるかのようにも見えてしまうなあと思って、新たに書き始めてみた。とはいっても、最後の一文以外にはTumblrについての言及は全く無いのでその誤解の余地はあまり大きくないのかもしれない。自分の書いた文章を、自分の意図から離れて読むことが私にはできないので、実際にどう読まれるのかわからない。でも、多かれ少なかれ、文章の最後は結論を書いて締められるという共通認識があるように思えるし、そしてだからこそ私は最後に余計な一文を書いてしまったというのがある。昨日は何が言いたかったのかというと、大雑把に言ってしまえば「面倒臭い」というだけの話だったんだけど、「面倒臭い」で文章を終わらせてはいけないような気がして、「リブログ廃人ができあがるのである」などという蛇足を加えてしまった。本当にリブログ廃人ができあがるのかどうかもしらないまま。強迫観念。
私は書いたものを読んでほしいというのとは違うけど、やはり読まれることを前提として書いているところはたしかにあって、むしろそれを意図してブログを公開している。読んでもらうために書いているのではないから、という逃げ口上を用意してこんな糞みたいな文章を書いてはいるけど、それでも人に読まれてしまうんだという意識があるから一応は体を成した文章を書いてはいて、これが読まれることを意識しなくなると使う言葉を選んだりもしないだろうし、文と文とのつながりはもっと雑になっているだろうし、最後まで書き上げることも少なくなるだろう。読まれることを意識して書くということにはそれなりのメリットもあるんだけど、一方では変に格好付けてしまって余計な一文を付け足してしまうという弊害もある。弊害もある、ってそれが一般論みたいに書いてるけど、ただ私が格好付けてしまうというだけか。困ったものだ。