自分の目に見えたものしか信じない

幽霊なんて信じない、という人がいる。そんなの見たことないから、と言う。
そうした自分自身の五感に対する絶対的な自信が羨ましくもあり、また憐れでもある。

比較文化論だったか何だったかは忘れたが、学生時代にこんな講義を受けた。
大航海時代の話だ。新大陸にはスペインが、オランダが、イギリスが、どんどん入植を進める。先住民を追い出し、殺し、犯し、または奴隷として酷使した。その様子を見た宣教師が各国王に手紙を書く。彼らは先住民にこんな酷い仕打ちをしている、王の命令でやめさせて下さい、と。先住民には文明がなく、野蛮な人たちに見えるかもしれない。だけど彼らは神の教えを知らないだけなんです。本当の彼らはとても心の清らかな人たちです。素朴で、正直で、情に熱い人たちです。彼らほど敬虔なクリスチャンになれる民族は他にいません、と。
新大陸各地の宣教師から同様の書簡が送られた。それぞれ異なる民族に触れながら、彼らは各地で同じ感想をもっていた。
彼らは目の前の先住民を見ていたのではない。あらかじめ抱いていた素直で純朴な先住民族のイメージを目の前の人たちに投影していただけだ。だから多様な先住民族の誰にあっても、一様の印象しか受けられない。そんな講義だった。

私は幽霊を信じない。だけどそれは見たことがないからではない。
私は一般より幻覚を多く見る傾向があり、信じる人ならそれを幽霊と断定するだろう。
でも私の場合は違う。自分のメンタルの弱さが、何でもない影を意味あるものに見せることがあることを知っている。私は自分の五感よりも、そうした知識を信頼する。自分の感覚なんて信頼に足らないことを知っているから。

意識の高い人たちは、私とはまったく違った考え方をする。
彼らは自分の目に映るものだけが真実でないことを知りながら、あえて自分の信じるものだけを見つめる。知りたくない現実から目を逸らす。中身がないことを知りながら、定期的に自己啓発本を読んではモチベーションを高める。高い目標と、それを達成する自分をイメージする、それを信じて疑わない。だから脇目も振らずに努力することができる。失敗しても、それは勝ちへの途中でしかなく、成功体験だけが積み重ねられていく。だからさらに頑張ることができるし、成果を上げることもできるようになる。

一部の意識の高い人たちは、自分の成功体験を他の人にも味合わせてあげようとする。目標を強く思い描け、その実現のためにすべてを捧げろ、もっと頑張れるはずだ、私はそうして成功したし私の言うことを聞いた人も一人残らず成功した、成功してないのは途中で諦めた奴だけだ、と。

きっとまったくの善意からなのだろうが、それによって多くの人が傷つけられていく。誰もが頑張れば成功するわけではないし、誰もが十分に頑張り続けることなんてできない。
でも、彼らの目にそんな現実は映らない。映らないからこそ成功してきたんだから。