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今回の騒動で失望したこと

十人十色の正義が認められる現代では、モラルで社会は変わらない。マイノリティを浄化しない限り。

たしかに私も乙武氏の態度はちょっと変だと思った。
失望もしたし、不満も書いた。それは私の彼に持つ過大評価のせいだった。常に沈着冷静で、世のため人のため社会のために、聖人のようなイメージを私は勝手に抱いてた。だがしかし、そんな人はこの世にいない。乙武氏だって当然に喜怒哀楽を持ってるし、失敗もすれば、間違いも犯す。彼は普通の人間だ。人よりちょっと頭が切れて、手足がなくて、努力家なだけ。
乙武氏の対応はベストのものではなかっただろう。予約の時には車椅子であることを告げるべきだったし、店主の応対に激昂なんてするべきではなかった。店を批難するtweetだってしない方が良かっただろう。そのことが責められるのは仕方のないことかもしれない。
でも、もういいだろう。
その時期はもう過ぎている。煽ることが生業の赤木智弘氏でさえも、一晩明けた朝にはもう建築行政を語っていた。

なのにいつまで続けるんだ。
決して周回遅れにある人たちのことを言うのではない。ネットの利用が週1回30分程度の人ならばそれも仕方ない話だろう。問題なのは、嗅覚に長けたはずのはてサたちがこの有様だということだ。

もう一晩明けてみて、カリフォルニアから充電中のtweetがホッテントリ入りをした。
加州ではこんな事態は起こらない。もっと法整備が進んでる。でも日本では、同じようにはできないだろう。土地は狭いし、文化が違う。そこまでのヒントは出されていた。
なのに出てきたコメントは、米社会の不便さを冷笑しているものばかり。助け合いの意識こそ大切だとかいうのがせいぜい。

絶望した。

もちろん善意は必要だ。譲り合いは大切だ。だけどそれじゃあ解決しない。
障碍者が生きるのに、他人の善意を借りられないとフツーに暮らすこともできない。いつでも周りの目を気にして、恐縮しないといけないのか。これがまともな社会だろうか。先進国の姿だろうか。美しい国と言えるだろうか。
体罰問題を前にして学んだものと思っていた。精神論では片付かない。システムこそが必要なんだと。