繁忙シーズンも落ち着いて、久しぶりに2連休。一通りやらなければならないことも掃除以外は終えたので、のんびりしている。

増田でまともに経済語ってる奴がいた。*1部屋で寝転びながら読んでいると半分くらいしか理解できなかったけど、興味深い話題だった。
話題のソースとしては日経の記事が貼られていて、*2こちらは難しいことがないので(つまり理論が弱いので表面的な理解にはなるだろうが)わかりやすい。わかりやすく昨今の経済政策論をまとめている記事であるが、はてブ数はさほど伸びない。まあそんなものだろう。

かわって、今日伸びてる日経記事がある。*3
グローバルサービスのことごとくが日本でだけ設定価格が安い。それは為替だけでは説明がつかないという。興味深いテーマだった。
しかし、結論から言うと、さほどの新情報は無い。諸外国では物価が上がり続けているのに、日本では停滞し続けていて、これはけしからん、ということを書いているだけだった。なのにはてブは伸びているのだ。

自転車置き場の議論だった。
Wikipedia曰く、それはパーキンソンの凡俗法則というそうだ。*4
人は難しい本質的なことには関わらず、自分でもわかりそうな些細なことにばかり関心を向けやすい。
上の記事には既に多くの人が理解している当たり前の現象が記されているので、馬鹿もいっちょ噛みしてくる。
挙げ句、無関係な政府批判や陰謀論まで飛び交う。お前ら本当に記事読んだのかよ。

 

SIMカードが死んだ件

SIMカードの異常で交換するというのは、前にも一度経験しているから、そう珍しいことではないんだろうと考えられる。その頃はauユーザーだったので、auショップに持ってさえ行けば解決したけれど、UQだとそうはならなかったという話。

 

 

前日から繋がりが悪く、でもそのときには電源を落として再起動すれば問題なく使えた。ところが翌朝には完全につながらなくなった。再起動してもダメだし、部屋中をひっくり返してピンを探してSIMカードを取り出して入れ直してみてもダメだった。

幸運にも職場の最寄り駅にはUQ mobileのショップがあったので、仕事終わりに持っていった。やっぱりSIMカードを入れ直しても繋がらないし、店舗にある別のSIMを挿せば繋がった。
カードが原因みたいですね、という店員の言葉があり、これで解決したと思ったが、何やら店舗ではSIMカードの再発行ができないという。自分でカスタマーセンターに電話して再発行を求め、配送されたSIMカードは自宅で受け取ることしかできない。当日発行されないだけでなく、ショップやコンビニ受け取りもできないので、いつ受け取ることができるかもわからない。なるほど、これがMVNOというものかと思い知る。
よくよく考えれば、UQだからショップでSIMの異常だと確認できたけれど、他のMVNOではそれもできない。他の端末かSIMカードを持っていれば確認することもできるだろうけど、それには同じサイズのSIMである必要がある。一層面倒くさいことになっていたんだなあ。

その翌日には出荷完了のメールが届き、さらに2日後、つまり昨日の夜にようやく受け取ることができた。
こいつを挿せばすべてが終わると思ったけれど、今度もまたそう簡単な話ではないらしい。入れてはみたけれど、全く反応しない。同梱されたガイドブックは、端末の新規購入を前提に書かれていて当てはまらないものが多すぎる。これかなと思って回線切替設定をしてみたけど、それでもまだ繋がらない。
UQに問い合わせようとフリーダイヤルにかけてみるが、どうやらLINE Outからはかけられない模様。SIMが使えないのに、他に電話契約なんてあるわけもない。すると「チャットでのお問い合わせ」という項目があるではないか。ということで仕方なくチャットを開いてみる。そして、解決した。
プロファイルのインストールなるものが必要だったらしい。それまでもUQを使っていたのに、なぜインストールされていない(あるいは再度インストールする必要がある)のか私にはよくわからないけど、とにかくこれで解決したのだ。これも電話だったらオペレータに繋がるまでの待ち時間があっただろうし、該当ページのリンクを貼ることもできないのでまた一苦労したことだろう。チャットでの問い合わせは案外と便利だった。



今回は、10年以上使い続けてきたauからUQ mobileに乗り換えて間もなく、安いなりのリスクを体験できて、なかなか不便だったけど、貴重な経験ができた。仕事が糞繁忙シーズンでなくてまだよかった。こんなことが度重なるのでなければ、まあ許容できる範囲かなあ。

ちなちに、auからUQに切り替えたことで、回線速度・安定性は特に変化を感じない。UQ mobileも回線自体はauのものなので、混雑時の制限はあるのかもしれないけれど、実感としては何ら変わりなく、不満はない。だけど通信量は違う。駅などでのWi-Fiがなくなると意外と増える。過去平均が3GBでも、MVNOで3GB契約に変えると瞬殺するという学びがある。モバイルルータを持ち歩かなければならない。

画像はイメージです

インターネットを見ました。

f:id:hungchang:20190819204753p:image

もりもり元気おそうめんパワーwith油辣椒 - #つくりおき

f:id:hungchang:20190819204644p:image

イシゲスズコ on Twitter: "これこれー。 これひとつで手を使わなくてもハンバーグとか餃子のたねとか作れるよ。 https://t.co/N0zcA9T0OJ"

つまり、こうです。

f:id:hungchang:20190819203947j:image

これが、こう。

f:id:hungchang:20190819204126j:image

冷静に考えると炒めるのはヘラで十分だった。

f:id:hungchang:20190819204138j:image

やばいくらい油が出てきてやばい。

f:id:hungchang:20190819204214j:image

良かったですね。

居抜き店

仕事帰りにたまに行くつけ麺の店があった。
中太のストレート麺と、醤油ベースでとろみがかった濃厚なスープ。スープは馬鹿みたいに熱く、麺はキンキンに冷やされていて、特別に美味しいというわけではないが、丁寧に作り込まれいるのが感じられて、好きだった。

ある日気づくと、看板が担々麺を推すものにすげかわっていた。
看板以外の外装も内装も変わった様子はない。
流行りの新メニューを入れ、それを目立たせるようにしたんだろうと思った。

だけど、違った。

店内に入って、券売機も以前と変わらないものだった。
けれどそこに書かれたメニューは今までとはまったく違った。ラーメンもつけ麺もなくなり、数種類の担々麺だけが記されている。
もしかして、店自体が変わったのか。居抜きというやつだ。このときようやく気がづいた。
案の定、店員さんも違った。
あの、大きな声で、過剰に丁寧なお兄さんはいなかった。

f:id:hungchang:20190808230922j:image
冷やし担々麺は、なんとも美味しそうな品が出てきた。
美味しそうなだけであって、美味しいわけではない。
豆乳の主張が強い。強すぎる。
ご家庭で作るアイデアレシピならばそれも面白いんだろうけれども。

 

 

 


それから1週間ほどが過ぎ、今日また店を訪れた。
今度は汁なし担々麺を注文してみた。

f:id:hungchang:20190808230939j:image
相変わらず見た目には美味しそうだ。
しかし麺に箸を入れてみて、
すると麺がすべてくっついているではないか。
この美しい盛り付けを行っている間に、麺同士がくっついてしまっている。
茹で上がった麺を水洗いすることもなければ、スープや油を合えるようなこともしていないということだろう。

麺がくっつく程度のこと、気づいていないわけがない。
だけどそのまま提供している。
客を舐めてるなと思った。
見た目さえ良ければいいと考えているんだろう。
ふざけろよ。

お前は趣味の延長で作っているのかもしれないけど、こっちはうまいメシが食いたくて金払ってんだよ。
予算の都合上、時間の都合上できないことだってあるだろう。それは仕方ないと思う。
だけど、手抜いてんじゃねえよ。
できることやらないで手抜いて、見た目が良ければ満足するとでも思ってんのか。
見た目にそんなに拘るんだったら、居抜きなんてしてんじゃねえよ。
お前が居抜きで使っているその店は、前に入っていた店はな、いつ行ってもガラガラだったけど、徹底した温度管理で、一切妥協なんかしなかったんだ。
大してうまくもなかったけど、兄ちゃんの拘りがつまってたんだ。
よりにもよってこの店で、よくもこんな品を出せたもんだな。

なんで誰も教えてくれなかったんだ

iPhone用のTwitterアプリOre2がすごく便利だという話。

Pawooから、アプリもうすぐ止めるから替わりに新しいやつ見つけとけよ、という通達が来た。
おそらくは更新しなくなるだけであって、すぐに使えなくなるわけではないだろうけれど、Pawooアプリに不満が無いわけでもなかったので、乗り換え先を探していた。
いくつかの有名アプリを検索しては落としてみたけれども、そのときに関連アプリとしてストアに表示されたのがOre2だった。

www.itmedia.co.jp

説明を読んで少し興味が湧いたのでググってみたら、上記のページが出てきた。
どうやらもともとはTwitter用だったものを、Mastodonにも対応させたものらしい。
Mastodon複数アカウントも、Twitterも、そのリストも、すべて並列にタブで管理し、それを左右のスワイプだけで往き来することができるという。
これはめちゃくちゃ便利じゃないか。
そう思って落とした。
折角だから240円の有料版を落とした。
するとどうだ。
実際に使ってみると、想像以上に便利だった。

動作がすごくスムーズだ。
左右のタブの切り替えも、上下のスクロールも、すごく快適に動く。最近Pawooで起こりがちだった急なジャンプもないし、タブの移動もBunchoよりもスムーズだ。
NSFWなどは設定で常に表示にできるのも便利だし、でも画像はかなり小さく切り取られてしまうのは少し残念。
通知やマイページをタブに設定することはできない。
でもそんなこともすべて、この軽快な動きというメリットが凌駕する。すごく使いやすい。
タイムラインで見かけたトゥートを、別アカウントでブーストできるメリットも強い。
これはもっと広く使われるべき便利アプリ。

死に損ないのwebサービス

もうなんだったか忘れたけど、自分のブックマークから何かを探していて、そのときにあったのがshortnoteを紹介した記事だった。

 

b.hatena.ne.jp

 

Noteは今でも栄えている人気サービスである一方で、shortnoteはもはや死にかけのサービスだ。廃止が決まっていたところを、今の運営会社が買い取ったことで、なんとか存続している。*1

 

何故かピンと来た。
これといった理由はなく、使ってみようと思えた。
そうして最近はブログよりもshortnoteを書いている。

 

ブログを書くということにどこか重さを感じる。
ブログは本来的に日記投稿サービスであるはずだった。
しかしそれを公開し、多くの人に読まれることによって、個人の日記レベルだと罵られる理不尽が発生する。
こうして文字で書けば、それは理不尽だと多くの人が思うだろう。
でも実際に、私たちはブログを読むときに、個人の日記以上の何かを期待しているのではないだろうか。
それが紛れもない個人の日記であったときに、がっかりしないと言えるだろうか。
彼はそれを言葉にしただけであり、私たちも無自覚に同じ思いを抱いているのではないだろうか。

 

抗うべきなんだろう。
べき、という表現は正しくないかもしれないけれど、そうした観念には抗うのがid:hungchangではなかったか。
本来のブログのあり方を取り戻すために、あえてくだらない投稿を重ねるのが私の性分だったように思える。

先日も思ったものだ。
ネタバレレビュワーを庇う増田*2*3に付けられたブコメを読んで、今後もネタバレレビューを書き続けようと強く誓った。
またはチケット不正転売禁止法でも、時間と体力さえあればカルテルの合法化だと罵るエントリーを書きたい気持ちは今でもある。*4

だけれども、疲れてしまったんだ。
私自身がブログのあるべき姿を信じられない中で、それでも書くことにはストレスがあった。
書きたいのに、書くことがストレスになる。
もう意味がわからない。

 

shortnoteは気持ちが楽だ。
まず、タイトル記入欄に「オプション」と記載されているのが楽だ。
私はタイトル付けというものが苦手なのだ。
それは昔から本当に苦手で、高校の部活動での作品にも題を付けることができず、やっと付けたものにも先輩からOBからダメ出されたものだった。
たしかビートたけしが言っていたと思うんだけど、どんな映画かを一言で言ってくれと言われても、一言で言えるようなことだったら映画なんて作らないよ、と。
ブログエントリーのタイトルは、その内容を的確に示すものであるべきだろうが、
適切なタイトルというものを付けることが可能であれば、それ以後の文章はすべて蛇足になるのではないか。
だけれど私が文章を書きたいとき、その多くは明確な内容を伝えたいのではなく、大事なのは「蛇足」のほうなのだ。
だから私がタイトルを付けるとき、その目指すべき方向性がわからず、しかし何かを付けなければならず、いや、絶対に付けなければいけないというわけでもないところがまた余計に悩ましい。
それがshortnoteでははなから「オプション」なのだ。
付けたい人だけがタイトルを付ければいい。
付けなくても何ら問題ない、どころかそれがデフォルトなのだ。

 

なんでタイトルのことをこんなに長々と書いているのかよくわからないけど、ブログのことだ。
これは別に卒業エントリーではない。
もうブログを書かないというのではない。
shortnoteに書くことが増えて、はてなブログに書くことは減るよというだけのこと。
減るといっても以前のように、月に1〜2回くらいは更新するんじゃないかと思う。
しないかもしれない。
暇な職場に転職すればもっと書くようになるかもしれないし、宝くじが当たれば毎日更新するようになるかもしれない。
宝くじが当たって、毎日ブログを更新する生活がしたい。

 

*1:金銭の授受があったのか無償譲渡なのかは知らない

*2:ネタバレAmazonレビュアーを擁護する

*3:私が書いたのではない

*4:実際には時間も体力も無い

鈴木さん強い

朝日新聞内サイトの公式アカウントのツイートが回ってきて、その記述が気になった。

 

 

ツイートでは、「認知症で行方不明になる人の数が、年々増えています。昨年は延べ1万6927人だったそうです。このうち、1週間以内に発見された人は、どれくらいいたでしょうか」とあり、リンク先の記事には、「所在確認までの期間は捜索願提出の「当日」が1万1905人、「2~7日」が4205人で、99・3%の人が1週間以内に発見されていた」とあり、圧倒的多数が1週間以内に見つかっている。

 

自ら問いかけ、自ら答える場合、普通はその「答え」に強い主張を込める。というか強調したいところにそうした修辞法を使用する。もちろん、疑問と回答があれば必ずそれが強い主張でなければならないというわけではないけれど、そうあることが一般的だし、多くの場合、読み手はそう捉える。
だけれど今回は、どう考えても99.3%という数字が最も主張したい箇所だとは思えず、それでもやもやしたんだ。

 

 

 

もやもやして、何度も読み返した。
それでようやく気付いたんだけど、このおっさん、強いな。

 

有料記事*1の部分にはなるんだけど、認知症の人と家族の会代表理事の鈴木さんの話が出てくる。曰く、

認知症の人が自由に外出できる社会になりつつあることの裏返しと考えて欲しい」

 

「警察や消防、市民の協力で大半の人が元気な姿で家族の元に戻れている。認知症への理解が進んだことが影響していると思う」

 

認知症の人が街中にいるのが当たり前の時代になった。私たち一人ひとりが一緒に暮らしていくという意識を持てるよう、時間をかけてさらに対応策を講じる必要がある。認知症の人が道に迷っても必ず帰宅できる社会を目指すべきだ」

 

字面だけ追っているとすごく当たり前のことを言っているだけのようでもあるんだけれど、これは強い。

認知症の行方不明者が昨年は延べ16,900人となり、毎年過去最多を更新しているという記事を読むと、そりゃあ大変だ、なんとか減らせないものかと私なんかは思ってしまうんだけれど、彼はそうではない。
認知症の人が自由に出歩けるようになったから行方不明が増えているのだと言い、きっとそれは必ずしも悲観することではないし、むしろ望ましい部分もあるということだろう。
認知症の人が自由に出歩くことで行方不明になってしまったら、迷惑のかかる人もいるだろうし、社会への負担にもなるだろうが、しかし認知症の人をどうこうするのではなく、変わるべきは社会、我々のほうなのだ。

なるほど、言われてみればたしにそれは正論で、認知症の人を拘束すべきでないことくらいは私にもわかるが、だからといってそれで社会が被る負担は並々なものではない。
そうした社会が正しいことは理解できるのだけれど、私はまだ「認知症の人が道に迷っても必ず帰宅できる社会を目指すべきだ」とは言えないでいる。

*1:無料会員でも読める