アニメの面白さについて考えている。特に前回の続きというわけでもない。
今冬のアニメは豊作だったと言われる。たしかにそうだったかもしれない。私も昨期は最後まで視聴した作品が多かった。りゅうおうのおしごとだって他の期に放送されていれば切らずに見たかもしれない。そんな中で最もネットの話題をさらったのはゆるキャンとポプテピピックの2作品だった。たしかに話題をさらうに十分な優れた作品だった。でもそれらが最も面白い作品だっただろうか。
というのは私が好きだったアニメ、宇宙よりも遠い場所が、あまり話題に上がらなかったというのがある。*1 宇宙よりも遠い場所は女子高生が南極に行くという、冒険ものであり、それでいて彼女らの日常を丁寧に描いた作品でもある。軸足は笑いよりも感動に置かれているが、女の子たちがキャキャウフしているところをニヤニヤしながら眺められる作品だ。雰囲気としては花咲くいろが近いだろうか。あんなに鮮やかな画作りはされていないけれど。それより一番大きく異なる点は、主人公が何にも秀でていないところかもしれない。音楽や絵画などの才能を持っていないのはもちろん、誰にも負けない行動力や不屈の精神を持っているわけでもない。本当に何もない。そんな主人公なので、物語に派手などんでん返しも起こらない。結月と仲良くなり、南極行きを決めたときくらいか。もちろん南極に行くことそれ自体がドラマチックではあるのだけれど、ただそれはもう見始める前からの既定事実であり、物語に劇的な展開はほとんどない。なのでわざわざインターネットにコメントを書き込む動機が乏しい。そうでなくても全国ネットでの地上波放送はされておらず、インターネットで話題にされることはあまりなかった。
話題にしやすい、なりやすい作品と、そうでないものというのはどうしてもある。そして、話題になった作品というのは、人気(が出るのも当然の優れた)作品だと見なされやすく、さらに多くの視聴者を集める。ポプテピピックはそれが上手かったように思える。やりたい放題だと評されたおそ松さんを遥かに凌駕する奔放ぶりだ。あれで話題にならないわけがない。話題が話題を呼び、多くの視聴者の獲得に成功した。
インターネットで高い評価を得るということは、必ずしも視聴者の大半から高い評価を得たということではない。インターネットに感想を書く人は少数派だ。たしかにかつてほどインターネットへの投稿が珍しくなくなったとはいえ、たしかに多くの人がSNSアカウントを持つようになったとしても、それは程度の問題に過ぎない。レビュー投稿がごく少数派だという事実は依然として変わりない。サイレントマジョリティの評価がどうであったのか、我々には知りようがない。
アニメ産業というのはフリーミアムモデルだと言っていいだろう。テレビ放送それ自体では収益を得られない。テレビアニメはDVDや各種グッズの物販によって、あるいは映画やソーシャルゲーム、パチンコなどのコンテンツの売上によって、そうして利益を回収している。だからアニメの視聴者全員の高評価を得る必要はない。売上に繋がる一部の人からより高い評価を得られれば、そのほうがより高い利益を上げることができ、アニメはより成功したと言うべきなのかもしれない。*2 そう考えてしまうと、今期の覇権はどのアニメだと騒ぎ立てているのは、CMアワード的なものに沸く業界人たちと同じ奇特さなのかもしれない。いや、テレビアニメは商業的なものとは一線を画した崇高な存在である、とはまさか言えないだろう。
日記
ドンキホーテで1.8Lの電気ポットが1,480円と破格だったので買ってきた。
以前から使っていた0.9Lのポットが、年明けくらいから調子が悪くなって、少し前からはまったく使えなくなってしまっていたのでちょうどよかった。容量は以前のものの2倍になって、こんなにお安くていいのかしら。色はピンク一択みたいだけれど、まあ持ち出して誰に見られることもないんだから、気にすることもないか。そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
でも、開けてみたら違ったんだ。まさかこのパッケージから、青いポットが出てくるとは思わなかった。
いやね、別に色にこだわりはないんだ。むしろ選択肢があったなら青を選んだと思うんだ。
でもね、この箱の中からまさか青いポットが出てくるとは思わないじゃん。
驚くよね。
えっ、って。
思わず箱を閉じちゃうよね。
なんでこんなことになってしまっているんだ。
そうしてようやく気がついたわ。
いや、これさすがにレベル高くない? 矛盾塊かよ。
てかこれもしかして、工場の片隅でポットの箱にレ点を付けていくだけの簡単なお仕事が存在するということなんだろうか。それは2通りのパッケージを作るよりも安くあがるということなのかしら。
本当にガルパンはいいのだろうか
結論から言えば、良かった。想像していたよりずっと良かった。危惧していたようなことはなかった。
おやおや、うっかりAmazonプライム無料体験をお試ししてしまったようだぞ。メールが届いてて気がついたわ。
— 近田(鴨) (@chikada06) 2018年3月30日
白米を切らした。そのためAmazonでいつものあきたこまちを購入したのだけど、その際にうっかりとプライム無料体験を申し込んでしまったのだ。まあ、直ちに金がかかるわけでもないし、試しに使ってみようと思った。月に400円足らずのサービスなら、場合によっては継続利用してもかまわない。そうして見たのがガールズ&パンツァー 劇場版(セル版) | 動画 | Amazonビデオだった。
試合場面から始まった。何の説明も無い。しかもなんだ。カチューシャとダージリンが同じチームだ。これが何なのかわからないけど、楽しそうだからまあいいか。
楽しそう、というのはガルパンの大きな魅力だ。戦車という強大な武力を用いて敵を打ち砕く話なのだから、もっとおぞましい世界が描かれてもおかしくない。でも決してそうはならない。作品世界にも「危ない」という概念は存在するようだが、それが差し迫って描かれたところを未だ見たことがない。勇ましい砲撃音が鳴るも、どこか間の抜けたポップなマーチがそれを和らげる。本来は命をかけているはずの戦車戦だが、そんな様子は微塵もない。試合が終われば、誰も怪我を負った様子さえなく、笑顔で健闘を讃え合う。実に楽しそうだ。
概して男の子は派手なアクションが好きだ。プロレスが好きだったり、戦隊ヒーローが好きだったり、SFXが好きだったりしがちだ。でも、それが派手であればあるほど、危険が伴う。ダメな映画を盛り上げるために簡単に命が捨てられていく。違う。僕らが見ていたいのは、希望に満ちた光だ。そう、光だ。そこには光がある。まぶしい笑顔がある。輝く青春がある。戦車道がある。私たちは誰も傷つけることなく、派手な戦闘と、かわいい女の子を見ることができるのだ。
映画の短い尺の中で、試合の時間がその大半を占めるのもすごいなと思った。スポ根作品であっても、試合になかなかここまで大きな尺を割けない。スポ根作品ではストーリーがより重視されるから、余計にそうなるのかもしれない。ガルパンにもストーリーが無いわけではないが、作品における重要度はいくらか落ちる。計ってはいないので印象論にすぎないけど、エキシビションと試合外のパート、大学選抜との試合が時間にして 1:1:2 くらいだったように思う。なかなか大胆な采配だ。こうした、物語よりもドンパチに重きを置いた構成が、脳が溶けると言われるひとつの所以だろう。
だけどガルパンが、頭を空っぽにしたまま満喫できる映画かといえば、それも少し違う。
まず、楽しむためには若干のコンテクストが必要だ。というかキャラが多い。テレビアニメに出てきた多くのキャラクターが、何の説明も無しに次々と出てくる。劇場版から見始める人なんていないだろうに野暮ったい説明から始まる謎映画とは違って、潔さを感じさせる構成だ。
さらには、戦車を知っていると理解が深まる。作中で出てくる型式や砲の大きさに対して、私は無知故に登場キャラクターと同じリアクションをとることができなかった。本編終了後に流れる秋山殿の解説でいくらか知識を得ることができるが、それを基にもう一度見直すとまた違った理解があるのかもしれない。あるいは、戦車の違いを理解し、誰が乗っているのかすぐにわかるようであればもう少し緊迫感を持って見られたことだろう。つまりは、何度も足繁く劇場に通っていたガルパンおじさんたちにも、それなりの意義があったと言っていいのではないか。
君は2ヶ月間カレーを食べ続けたことがあるか
近田
近田
近田
近田
メーカー修理になるので週明けにもメーカーから連絡させるとのこと。
それまで鶏肉がもつかどうか。
近田
近田
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
近田
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
近田
近田
どうやら私はカレーとライスの位置に微塵も関心が無いらしいことがわかる。
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
というか以前の画像を使いまわしたところで誰も気付かないのでは。
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
今日のカレー
近田
今日のカレー
id:sabacurry
https://www.ohsho.co.jp/info/2018/120531_250.html
昨日は王将行こうかと思ったんだけどやたら混んでたので日高屋で餃子食べてました。
近田
今日のカレー
近田
そんなことよりも、カレーと餃子は別々に食べたほうが美味しいという学びが得られた。
今日のカレー
今日のカレー
面白さとは
まず「ゆるキャン△」は危ういバランスの上に成り立っているなあという印象だった。それは今期もう一つのきらら枠である「スロウスタート」と比べての印象である。「スロウスタート」は完成されたバランスの上にある。確固たるキャラクター設定がなされており、それに似合った造形をしていて、それに応じた役割を担っている。すごくよく作り込まれている。
一方で「ゆるキャン」だ。これは危うい。主人公の二人だけ見ても、普通はこんなキャラクターデザインをとらない。各務原なでしこ。あのヴィジュアルでアホキャラだ。別にアホキャラはショートかツインテールかゆるふわロングじゃなきゃいけないなんて決まりはないんだけど、でもやっぱりどこかしっくりこない。もう見慣れたけど、第一印象の違和感が強かった。しまりんの髪も、キャンプ時には団子で確定なんだけど、学校では下ろしていることが多く、そうするとキャラクター性が弱まるので普通はわざわざそんな設定をとらない。こうしたキャラクター設定からして危ない橋を渡っているように見える。
物語中で描かれるネタもなかなか危うい。というか、ネタと呼ぶべきネタはかなり少ない。ごく日常的な会話の中に、クスリとする程度のネタが潜んでいるに過ぎない。野クルパートを除けば、わかりやすいボケ‐ツッコミの構図はほとんどない。日常会話での面白みというものは本来そういうものではあるんだけど、その面白みをメディアを通して伝えるということはそう簡単なものではない。ボケ‐ツッコミの構図があったほうがずっと伝わりやすい。だけど「ゆるキャン」ではそうしない。普通の会話の中で面白みを伝えることに挑戦し、そしてそれは上手くいっているように見える。絶妙なセンスだ。
ところで作者のあfろ氏の作品を追ってみると、Amazonにこんなレビューがあった。
作者様の作品出ている限りひととおり読ませていただきました
まどかをある程度知っている
オレンジ>不明局>たむら>>>ゆるキャン以外
たむら>オレンジ>不明局>>>ゆるキャンおもしろい順番ではなく、ぶっ飛んでいる順番はこんな感じではないかと
不明局の合う合わないで次にいくべきか判断つくんではないかとちなみに自分は全部好きですAmazon CAPTCHA
なるほどこれは興味深い。早速「シロクマと不明局」を購入した。するとどうだろう。これは私の想像とは違った。「不明局」のほうがはるかにわかりやすい。「不明局」は基本的に四コママンガであり、「ゆるキャン」よりもずっと笑いの構図がわかりやすいのだ。もしかするとレビュワーの言うわかりにくさとは、単にネタがスベっているだけなのではないか。いやしかし、レビュワーはあfろ氏のファンで、氏の全作を読破しているようだ。作者の意図するものが刺さらなかったというわけではないはずだ。ではわかりやすさとは、面白さとは何なのか。その謎を解明すべく我々はAmazonの奥地へと向かった。
ランチでハンバーグを食べた
外観の雰囲気からエスニックな店かと思って入ったけれど、もっとちゃんとした洋食屋だった。
ハンバーグは玉ねぎもつなぎも使わないビーフ100%の肉だった。
美味しかった。
けどそうじゃないんだよなあ。
たしかに美味しいよ。美味しいんだけどさ。100%にこだわらなかったらもっと美味しくできたんじゃないかなって思ってしまう。もっと脂を増して、ブイオンやらアミノ酸やらぶっこんで、卵と粉でかためたほうが美味しいんじゃないか。そんな風に考えてしまった。
なにも脂とうま味調味料をドバドバ入れれば入れただけ美味しくなるとか、そんなことを言いたいわけじゃない。最適なラインっていうのがあるはずなんだよ。その線引きは個々人の好みによって違うからなかなか断言しにくいところではあるんだけど、半端な肉を使ってビーフ100%を謳うよりも、もっと美味しく作ることはできたはずで、100%にこだわるあまり好機を逃してしまっているんじゃないかってこと。
もちろんもっとずっと美味しい肉を使うなら、その必要もないだろうし、むしろ牛の旨さを殺してしまうのかもしれない。でもその領域って、もっとすごく高いところにあると思うんだ。たとえば歌の上手い人って、あまり平坦に歌わないで、強弱をつけたり、ビブラートをきかせたりすることが多い。でも、そうすることで歌が上手くなるわけではない。中途半端な奴が、メロディを外れているのにビブラートをかけてきたら、もう苛立ちしかない。お前、そういうレベルじゃないよね。とりあえず音外さないで歌ってみろよ、って。なんかさ、勿体ないじゃん。そこそこ歌えているのに下手に格好つけたばかりに、余計に貧相に見えてしまう。もう少しうまくできたんじゃないかなあ、って。
糞まみれのインターネットを楽しむ
なんかそればっかり書いているような印象が自分の中であったけど、もう一年以上は書いてないみたいなので書く。
インターネットって基本的にはクズ。何百億ページだかあるその圧倒的多数が糞の役にも立たない。その上澄み、極々一部の便利サイトばかり使っていると忘れてしまいがちだけど、基本的には何の役にも立たない。
それが個人の投稿だと、役に立たない可能性は一層高まる。ブログでも、レビューサイトでも、ソーシャルブックマークサービスでも変わらない。8割以上はゴミ情報だ。そして、残り2割の大半は、害悪でしかない。
じゃあインターネットは一切見る価値が無いのか。いや、そうじゃないよね。だって仮にたった1%だけだったとしても、見る価値のある、面白い情報があるんだから。インターネットの楽しさは、その1%を探すことにあるんだと思うんだ。
そのインターネットに隠された1%は、インターネット以外ではなかなか出会えない1%だ。たとえば今朝から話題のバーチャルネットアイドルはインターネットでしか出会うことができない。変態端末を愛する人たちはきっとどこかに生息しているんだろうけど、あまり現実に会いたくはない。エロゲレビューに情熱を注ぐ人だってそうた。これは私の趣向であげた例に過ぎないけれど、インターネットでしか出会えない素敵な何かがそれぞれ異なった形で存在しているはずだ。
また現実では100回の試行は現実的でない。その実現には並々ならぬ時間と労力が必要となる。しかしインターネットならどうだろう。ページを開いては、気に入らなければ閉じるだけ。開いては閉じてを何度でも繰り返すことができる。現実では相手がいると失礼になり、なかなかできるものではない。というかすべきでない。
だからインターネットを楽しむために必要なのは、開いたページが、読んだ情報が、役に立たなくても、気に入らなくても、虫唾が走っても、気にせずタブを閉じてを新しいページを探し続けることだけだ。
だけだというと正確ではなくて、効率よく面白いページを探す方法とかツールとかそういうのがあったほうがいいのはもちろんなんだけど、だけどスルースキルがないと楽しめるものも楽しめない。ネガティブにいちいち辟易としていてはもったいないという話。
*1:ちなみにこのグラフ、この資料の中で唯一のグラフです