今日もインターネットは最高だぜ

はてなブックマーク - 互助会ブログのブコメは何であんなに気持ち悪いのか

いわゆる「互助会」批判の増田には「互助会」らしいブックマークコメントを付けることが定番になっている。それが「互助会」を揶揄しているのか、それとも「互助会」批判を嘲笑しているのかはわからない。きっとどちらもあるだろうし、どちらの思想も特に持ち合わせていない場合もあるだろう。「人の嫌がることをすすんでやろう」の精神によるものかもしれない。平たくまとめてしまうと、いろんな人がいるということだ。いろんな人が入り乱れているからインターネットは面白い。
そんな中で「こんなにみんなが互助会を嫌っている」みたいなブコメがあって、さすがにこいつはやべぇなと思った。どうしてそこに付けられたネタブコメの数々がすべて「互助会」を嫌悪してのものだと判断できたんだろう。本当にインターネットにはいろんな人がいて面白いぜ。

増田を読んでの推論

読んだ。

anond.hatelabo.jp

消したという元記事、私は読んでいないものかとばかり思っていたけど、どうやら以前にちゃんと読んでいたらしい。既に消されてしまっているとのことだけど、nisattaさんのブックマークコメントに2017/09/24現在閲覧可能な魚拓のリンクが貼られている。
あの増田はかまってもらえなくて駄々こねてるようにしか見えなくてあれなんだけど、そうはいってもヨッピー本に対するガッカリ感はわからなくもない。つまりは、今までは何のしがらみもないwebライターだから好き勝手言えてたけど、本を出すにあたって、出版社の売上を伸ばすための施策の前にはヨッピーも折れざるを得なかったということなんじゃないかと推察できる。実際に本を読んでないから想像でしかないけど、きっと本人が書きたかったのは自分の半生とかライティングの仕事についてとかそういうことだったんじゃないかしら。それが編集の意向で、処世術を目的として、その手段としてのwebライティングという形に落とし込まれたんじゃないかと。もしそうだとしても本人はぜったいにそんなこと言えないだろう。
で、そのせいなのかどうなのかわからないけど、ヨッピーが謎の正義感振りかざしていてなんか痛ましい。

ヨッピーの記事を消した。そしてさよならはてなブックマーク。

処方箋商売なんてやろうと思ってないよ。本の中でも明言してるけど、僕はそもそもファンの人達からお金取る事はなるべぬしないようにしてるし、今回の本の印税も全額何かしらに還元しようと思ってる

2017/09/24 13:09

b.hatena.ne.jp

いや、違うだろ、って。印税は受け取れよ。それは正当な対価だろう。そこを否定したらまるで消費者から代金を取ることが悪どい商売かのようじゃないか。広告ビジネスが尊くて、BtoCが卑しいわけではないはず。もし悪いことがあるのだとしたら、増田の言う「イケダハヤト化」だろう。ヨッピーが印税の還元を謳えば謳うほど、自分でも「イケダハヤト化」を自覚しているんじゃないか、その償いのためなんじゃないかと邪推してしまう。ただまあ彼の場合は、前々から金を稼ぐことにどこか嫌悪感というか後ろめたさみたいなものを抱いている様子は窺えるので、書籍の不本意な方針転換があったことを確信するには至らないわけだけど。どうも彼の考える正義感は、私のそれとはだいぶズレているんだよなあ。

久しぶりに食べたけど、やっぱりうまいな、カレギュー。良さしかない。まだ牛がプレミアム化していない店だったけど、カレーをかけるならあれで十分。おかげて料金据え置き並盛り500円。今日日500円で食べられるものの中で一番美味しい食事なんじゃないだろうかカレギューは。しかしまだあったんだな、プレミアムでない牛で出す松屋。ド田舎の店まで行ったならまだしも、首都圏のそこそこの駅なのに。全店を速やかにプレミアム化するつもりなのかと思っていたけど、そうではなかったのかしら。一部店舗を残したりなんかしたら、余計な管理コストがかかりそうなものなのに。それとも高い部位と安い部位をまとめて仕入れて割り振ったほうがコストが抑えられるとかあるのかしら。いや、そんなことよりカレギューだ。それだけでも美味しいカレーに、牛めしの牛まで載せられている。カレーは、カレーそれだけでも十分に美味しいんだけど、だけどどこか物足りない。それは味が均一であることによるものであり、また具が無いので食べ応えに乏しいことによるものである。そこに牛肉が載る。するとどうだろう。カレーとは異なる味が加わる。カレーとは異なる食感が加わる。美味しいカレーに、しかし今まで足りなかった美味しさが加わることになる。これは牛めしの牛でなければなない。たとえばカツカレーという料理がある。カレーにカツを載せるという素晴らしい料理だ。カレーはカレーだけでも美味しく、またカツはカツで美味しい。そのふたつを掛け合わせる。するとどうしたことか、カレーの美味しさとカツの美味しさを合わせたものよりもずっと美味しい何かが生まれる。何かというか、それがカツカレーだ。最初にカレーにカツを載せた人間は天才だ。どうしてこれほどの美味しさが生まれると想像することができただろう。しかし、だ。カツカレーであってもまだカレギューの美味しさには敵わない。何故か。それは牛めしがそれだけで完成した美味しさだからだ。たしかにカツは美味しい。しかしカツを食べるとき、我々はそれをどうやっね食べるだろう。ソースをかけるだろうか。醤油だろうか。マヨネーズかもしれない。いや、タルタルソースだという人もいるだろう。多くの人は何かをかけたりつけたりして食べる。そうすることで塩分や旨味を補充する。カツとはそうして食べる食べ物なのである。一方で牛めしはどうだろう。たしかに牛めしに紅ショウガを載せることもある。玉子を割らなければならないという人もいるかもしれない。しかしそれらはmustではない。牛めし牛めしだけで食べられるものだ。カレーの存在がなくても。対してカツにはカレーが必要だ。カツとカレー、両者の間で美味しさの相乗効果があるとしても、その一部はカツを食べるためのソースとして消費される。しかしカレギューは違う。カレーだけで食べても、混ぜ合わせて食べても、牛だけで食べても美味しい。その割合の違いによって異なる美味しさを味わうことができる。それにカツカレーは高いじゃないか。しかしカレギューは安い。500円だ。たった500円でこんなに美味しい。たった500円なのに、こんなに牛がたくさん入っている。スプーンを口に運んだとき、その2回に1回はスプーンに牛が乗っている。それなのにたった500円で食べられるんだ。やっぱり松屋は最高だぜ。

ブクマページリニューアル雑感

はてなユーザーの驚異的な保守性はいつものことなので、反応を見る限りでは不満しか出ていないようでもあるが、そこまで酷いものとは思っていない。

 

画面が白すぎるというのはたしかにあるけれど、前回のリニューアル時にも文字色が薄くなりすぎて見にくくなったものは、多くの声があがることですぐに改善されたので、「白すぎて見づらい」という声はあげておきたいが、それ自体にはさほど悲観的ではない。

 

PC版とスマホ版のデザインが近づけられたことは歓迎したい。それぞれの使い方を覚えなければならない状況は、どう考えても健全でない。

 

コメント無しのブックマークが表示されなくなったのは、スマホ表示に一定のメリットがあり、それを優先したからであろうことは十分理解でき、一定程度評価したい。一部のハードユーザーよりも、より多くの潜在ユーザー獲得を目指すべき。

 

タグ芸が表示されなくなるのは寂しいけれど、本来的な使い方ではないので、利便性のために廃されるのは仕方なく思える。

 

スパムを通報しにくくなったとの謎の声。おそらくは気に入らないページを無言ブクマするだけでそのアカウントをスパムと断定するユーザーが複数存在していたことは容易に想像がつき、スパムと疑われるアカウントのユーザーページに一旦ジャンプする必要が生じることは、デメリットばかりとも言えない。

 

ブックマークしたユーザーを右カラムに表示させるのは良い。これが無いと我々は今後新たにキュレーターを見つけ出すことができなくなってしまう。マウスオーバーの挙動が必要だったのかは謎。わざわざマウスオーバーを仕込んで、タグを表示させながら、頑なにコメントは表示させない拘りは理解不能。

 

一番の問題はタグ入力のしにくさ。表記ブレを防ぐためにも一覧から選択したい。変換の煩わしさを省くために予め角括弧を打ち込んでから括弧内に文字を入力しようとするともれなく誤反応する。わざわざ別の入力欄に書き込むのも煩わしい。

 

bookmark.hatenastaff.com

意味がわからない話

youtu.be

 

いや、この動画の感想いろいろ見てたらね、「意味不明」とか「何が言いたいのかさっぱりわからん」みたいな言い方がけっこう目につくんですよね。で、僕、このCMの出来上がりの擁護はしないんですけど、意味はわかるだろ、と思うんですよね。その価値観に賛同するしないと意味わかるわからんって全然別じゃないですか。
牛乳石鹸のCMが炎上してるやつの雑感 - ←ズイショ→

 

そんなこと言われたって、わかんないものはわかんないよね。そりゃあ俺だって、電話を無視して酒飲んでけしからん夫だとかそれくらいのことはわかるよ。でもなんで無視したか、というかなんで無視させたのか、その演出の意図がさっぱりわからない。そうすることで何が描きたかったの?
「家族思いの優しいパパ」であるべきだということに疑問を投げかけているのはわかるよ。でも、息子の誕生日に家族へ連絡もせず電話にも出ないで部下だか後輩だかと酒を飲むことが「家族思いの優しいパパ」と天秤にかけるに値するもうひとつの目指すべき父親像なのかっていう話だよ。ぜったい違うでしょ。じゃあ違うんだったらこのシーン何なの? 意味わからなくね?*1
これ途中だからわからないんじゃなくて、最後まで見てもわからないんだよ。反抗期の中学生みたいに自宅に帰ってお母さんに叱られるんだよ。何も答えないまま風呂に入って、自分の父親のことを思い起こして。ここで家父長的な強い父親像に目覚めるんだったらまだわかるんだよ。でも違う。風呂から上がると謝っちゃうんだよ。ここで謝るんだったらさっきの回想の入り方おかしくね? 謝るんだったら入るべき回想は、自分の父親にされて嫌だったシーンか、自分の父親がしたことと今日の自分がしたことの違いが引き立つシーンであるべきだよね。まったく関係ない古き良き父親像の回想が入られても、謝る理由になってないよね。結局今日彼がしてきたことは間違いだったというだけなの? 「家族思いの優しいパパ」に疑問をはさむことは間違っているということなの? たぶんそうじゃないよね。じゃあ何を描きたかったの? 本当意味わかんない。*2

これをきれいに解釈するには「描写が不適切である」ということを確定させないといけない。倫理的にではなく、論理的に不適切。でも普通はそんなこと確信持って言えないよね。もしかすると自分に何か見落としがあるのかもしれない。大企業が大金出して作ったものが、そんな初歩的なところで間違っているわけがない。今までの経験からしても、国語の問題が間違っているという奴は、だいたいそう言う奴のほうが間違っていた。それにこんな気持ち悪いCMのために、どこがおかしいのか自分が考えるのも馬鹿らしい。こんな動画の評価は「意味不明」で十分だ。むしろこれの意味がわかるって奴はどれだけ自分の解釈に自信があるんだよ。本当意味わかんないわ。



*1:厄介なことには、息子の誕生日に家族へ連絡もせず電話にも出ないで部下だか後輩だかと酒を飲むことが「家族思いの優しいパパ」と天秤にかけるに値するもうひとつの目指すべき父親像だとして描いている可能性もゼロではない。

*2:厄介なことには、「家族思いの優しいパパ」に疑問をはさむことは間違っているということを描いている可能性もゼロではない。

b.hatena.ne.jp

 

香水とタバコの煙じゃ臭いといっても性質が違うから比べられないよねっていうのはまったくそのとおりなんだけど、受動喫煙のリスクって言葉ばかりが独り歩きしているけど実際のリスクは無視できるほど小さいよねって書いているところに、さらに小さいリスクである「三次喫煙」なるものへのリスクを謳うリンク*1を貼ってくるのは流石に脳がどうかしているだろ。しかもそのリンク先も相当頭がおかしい。1~2段落で三次喫煙なるものの概念を説明して、3段落目と図表でそのリスクの根拠を示そうとしているんだけど、「受動喫煙・三次喫煙」と全面禁煙化後の入院リスクにはまったく関係がないよね。参照元*2には数値の出し方が書かれていないから比較のしようもないけど、日本でも心疾患の全体の患者数で減少傾向にある*3し、高齢化の影響を受けない一人あたりのリスクで言えばさらに大きく下がることが推察される。本当に嫌煙厨には論理的思考など求めるべくもないんだなと。

feedlyが消化できない

消化できないというか、開いてもいない。最近まともにネットを見られていない。増田とPawooばかり見ている気がする。あとはパズドラか。今さらに社内でパズルアンドドラゴンがブームを起している。ほそぼそと続けている人は多かったんだろうけど、それを宣伝する人が出始め、かつてやっていたのを再開する人が現れ、私もこの春に初めてインストールした。なるほど、これは面白い。パズル自体がとても面白いかといえば、決してそれほどではない。ゲーム自体の面白さでは、ゴシックは魔法乙女のほうが優れている。優れてはいるんだけど、育成的な部分が面倒くさい。その面倒くささから、今ではほとんどログインしていない。アプリの動作が重たいことも難点だった。同じ理由でアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージもアンインストールしてしまった。その点、パズドラは軽くて扱いやすい。スタミナの回復が早い。キャラクターのBOX拡張がしやすい。ガチャが当たりやすい。まったくの初心者を対象とした解説サイトが充実している。などのメリットがあり、ゲーム以外の部分がさほど苦にならずに続けられている。
攻略サイトの解説は本当に素晴らしい。gamewithやgame8などのサイトでは、知りたい情報が逐一丁寧に記されている。わからない用語や、別のキャラクターが出てくるときにはしっかりと、その解説ページへのリンクが貼られている。こうした丁寧な仕事がソシャゲの攻略サイトに費やされてしまっているのが残念に感じられるほどだ。しかしよくよく思い出してみると、あの頃優秀な技術者やその志望者をどこよりも高い報酬を支払い囲い込んだのはソシャゲ業界だった。もはや話題にはならないが、その傾向はきっと今でも続いていることだろう。それだけソーシャルゲームは儲かるということであり、その関連分野で"もっと社会に必要とされていそうな分野"よりも丁寧な記事が作られていても当然なのかもしれない。"もっと社会に必要とされていそうな分野"よりも実際にはソシャゲ解説のほうが社会に必要とされているということだ。資本主義の原理で考えるとそういうことなんだろう。
たとえばハリウッドで大きなお金が動くことにはあまり違和感を抱かない。世界最高峰の技術が集結していることも当たり前のように感じられる。プロスポーツであってもそうだろう。行政はスポーツ振興にもっと予算を注ぎ込むべきだという意見を見ることさえある。しかし、ゲームは違う。同じエンターテイメント産業でありながら、どうしたわけか受け取るイメージが大きく違ってくる。ゲームは害悪だとされることまである。ただ観賞するだけの映画やスポーツと比べると、自ら考えて操作するゲームはよほど能動的・創造的であるのに。さらにはゲームの中でもソーシャルゲーム、モバイルゲームの立ち位置はさらに低いところにありそうだ。そういうデータがあるわけではないけど、そんなイメージがある。どうしてソシャゲの社会的評価はこうも低いんだろう。「どうして〇〇だろう」と書くと、あたかも「なぜならば~と続きそうなものだけど、そんな答えは持ち合わせていない。個人の日記レベルではない。個人の日記なのだ。
もう少し日記らしいことを書くと、鶏をカレー味で煮たものが美味しい。材料は、鶏もも肉、粉末のカレールウ、偽味覇のみ。結局カレー味には敵わないのかという悔しさはあるけれど、しかしこれは旨みが凝縮されて、下手なカレーよりよほどウマイ。皿に盛った上に刻みネギを散らすとそれだけで格別である。スライサーで長ネギを散らすとすごく手軽に料理らしさが出るので最近のマイブームになっている。