b.hatena.ne.jp

 

香水とタバコの煙じゃ臭いといっても性質が違うから比べられないよねっていうのはまったくそのとおりなんだけど、受動喫煙のリスクって言葉ばかりが独り歩きしているけど実際のリスクは無視できるほど小さいよねって書いているところに、さらに小さいリスクである「三次喫煙」なるものへのリスクを謳うリンク*1を貼ってくるのは流石に脳がどうかしているだろ。しかもそのリンク先も相当頭がおかしい。1~2段落で三次喫煙なるものの概念を説明して、3段落目と図表でそのリスクの根拠を示そうとしているんだけど、「受動喫煙・三次喫煙」と全面禁煙化後の入院リスクにはまったく関係がないよね。参照元*2には数値の出し方が書かれていないから比較のしようもないけど、日本でも心疾患の全体の患者数で減少傾向にある*3し、高齢化の影響を受けない一人あたりのリスクで言えばさらに大きく下がることが推察される。本当に嫌煙厨には論理的思考など求めるべくもないんだなと。

feedlyが消化できない

消化できないというか、開いてもいない。最近まともにネットを見られていない。増田とPawooばかり見ている気がする。あとはパズドラか。今さらに社内でパズルアンドドラゴンがブームを起している。ほそぼそと続けている人は多かったんだろうけど、それを宣伝する人が出始め、かつてやっていたのを再開する人が現れ、私もこの春に初めてインストールした。なるほど、これは面白い。パズル自体がとても面白いかといえば、決してそれほどではない。ゲーム自体の面白さでは、ゴシックは魔法乙女のほうが優れている。優れてはいるんだけど、育成的な部分が面倒くさい。その面倒くささから、今ではほとんどログインしていない。アプリの動作が重たいことも難点だった。同じ理由でアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージもアンインストールしてしまった。その点、パズドラは軽くて扱いやすい。スタミナの回復が早い。キャラクターのBOX拡張がしやすい。ガチャが当たりやすい。まったくの初心者を対象とした解説サイトが充実している。などのメリットがあり、ゲーム以外の部分がさほど苦にならずに続けられている。
攻略サイトの解説は本当に素晴らしい。gamewithやgame8などのサイトでは、知りたい情報が逐一丁寧に記されている。わからない用語や、別のキャラクターが出てくるときにはしっかりと、その解説ページへのリンクが貼られている。こうした丁寧な仕事がソシャゲの攻略サイトに費やされてしまっているのが残念に感じられるほどだ。しかしよくよく思い出してみると、あの頃優秀な技術者やその志望者をどこよりも高い報酬を支払い囲い込んだのはソシャゲ業界だった。もはや話題にはならないが、その傾向はきっと今でも続いていることだろう。それだけソーシャルゲームは儲かるということであり、その関連分野で"もっと社会に必要とされていそうな分野"よりも丁寧な記事が作られていても当然なのかもしれない。"もっと社会に必要とされていそうな分野"よりも実際にはソシャゲ解説のほうが社会に必要とされているということだ。資本主義の原理で考えるとそういうことなんだろう。
たとえばハリウッドで大きなお金が動くことにはあまり違和感を抱かない。世界最高峰の技術が集結していることも当たり前のように感じられる。プロスポーツであってもそうだろう。行政はスポーツ振興にもっと予算を注ぎ込むべきだという意見を見ることさえある。しかし、ゲームは違う。同じエンターテイメント産業でありながら、どうしたわけか受け取るイメージが大きく違ってくる。ゲームは害悪だとされることまである。ただ観賞するだけの映画やスポーツと比べると、自ら考えて操作するゲームはよほど能動的・創造的であるのに。さらにはゲームの中でもソーシャルゲーム、モバイルゲームの立ち位置はさらに低いところにありそうだ。そういうデータがあるわけではないけど、そんなイメージがある。どうしてソシャゲの社会的評価はこうも低いんだろう。「どうして〇〇だろう」と書くと、あたかも「なぜならば~と続きそうなものだけど、そんな答えは持ち合わせていない。個人の日記レベルではない。個人の日記なのだ。
もう少し日記らしいことを書くと、鶏をカレー味で煮たものが美味しい。材料は、鶏もも肉、粉末のカレールウ、偽味覇のみ。結局カレー味には敵わないのかという悔しさはあるけれど、しかしこれは旨みが凝縮されて、下手なカレーよりよほどウマイ。皿に盛った上に刻みネギを散らすとそれだけで格別である。スライサーで長ネギを散らすとすごく手軽に料理らしさが出るので最近のマイブームになっている。

ホヤ

安かったから試しに買ってみたけど、結局よくわからないまま終わった。

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白いトレイにラップが巻かれてるんだけど、ホヤが水を吐き出すせいで、ラップが取れかかっている。レジ袋の中が既に磯臭い。

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トレイから出してまな板に乗せた様子。よくよく見るとけっこうグロテスク。画像右側にあるのがどう見ても根っことしか思えないんだけど、ホヤは動物であって、それも脊椎動物と近縁にある尾索動物にあるらしい。近縁って何だよ。*1

まな板に乗せてはみたものの、これからどうしたらいいのかわからない。わからないことはgoogle先生に聞いてみるとだいたい教えてくれるから便利な世の中になったものだ。ということで、ホヤのさばき方を読むと、まずは右側の根っこと、それから左側のイボをそれぞれ切り落とすらしい。そうすると中から水が出てくるそうだ。根っこを切ってみてもこれといった反応は見られないので、ちゃっちゃかイボも切ろうとするんだけど、これがなかなか固くて刃がはいらない。ヨイショと力を入れて包丁を落とすとようやく切り目が入るのだが、それと同時にホヤの中から汁が飛び散る。この汁、すごく臭い。磯臭い汁が腕にかかり、服にかかり、床にこぼれ落ちる。めちゃくちゃ憂鬱になる。もう嫌だ。帰りたい。*2

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 2つ目をさばくときには調理ハサミを使った。ハサミ使うとカラを切り開くのもすごく楽。最初からハサミを使えば良かった。どうしてハサミを使ったほうが楽だと誰も教えてくれなかったのか。ホヤ - パルでは出てきた汁で身を洗うとか書いてあったけど、疑心暗鬼に陥っているので、肝類はすべて取り除いて水道水で洗い流した。溜まっている水、ぜったい臭いし、なんか濁っているし、これはダメだと本能が訴えてくる。もう完全にビビリきっているので、少しづつ食べられるように身はかなり小さく切った。

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食べてみると、磯臭い。さっき飛び散った汁のにおいがそのまま口の中に広がる。もっとシャキシャキしているかと思ったけれど、想像よりずっとやわらかい。噛めば噛むほど豊かな味わいが広がるようなこともなく、最初から最後まで磯のにおいが広がるばかり。決して「マズイ」というわけではない。たぶんウマイとかマズイとかそういうスカラーで評価すべきものではない。もっと人文主義的な何かであるような気がする。結局のところ私ごときにはわからないのだ。ただひとつ言えることは、ご飯のおかずにふさわしい食材ではなかった。少なくとも私はもう二度と買うことはないだろうし、さばきたくもない。あるいは手元に日本酒があれば感想もまた違ったかもしれないが、残念ながら我が家にアルコール類は無かった。

*1:「脊索動物(せきさくどうぶつ)とは動物の分類群のひとつで、トカゲ、ヒトなど脊椎(背骨)をもつ動物である脊椎動物と、それと近縁な動物群である原索動物(ナメクジウオなどの頭索動物と、ホヤ類などの尾索動物(被嚢動物)を指す)を合わせたものである」って脊索動物 - Wikipediaに書いてある。

*2:自宅での調理です。

限界オタクとMasto.Host事件

「限界オタク」の一般的な意味と用法は各自でググってもらうとして、互いをそう罵り合う頭のおかしい人たちがpawooにはいる。タイムラインをチャットルームのように使い、昼夜問わず下ネタを投稿し続ける。開設わずか一ヶ月足らずのサービスにして彼らの投稿数は10,000トゥートに達する。その中の一人が、新しいインスタンスを立てた。限界オタクたちのための、限界鯖だ。正式なタイトルは知らないが、pawooではそう呼ばれていた。そして、立てたばかりのインスタンスが数時間の内に閉鎖に追い込まれた。

 

pawoo.net

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要は、想定外の使われ方にサーバ運営が追いつかなかったということ。botを使ったわけでも、何かサービスの穴を突いて悪用したわけでもなく、ただ単純に投稿数が多すぎたというだけ。それに対してMasto.Hostは、不手際を詫びるのではなく、料金プランの変更を求め、それに応じない限界鯖へのサービスを打ち切った。100ユーザーまで5ユーロ/月を謳っておきながらとんでもない対応だ。
とはいえ、だ。Masto.Hostのページ最下部「プライバシー、利用規約」には以下の記述がある。

インスタンスに順応できるユーザー数は、インスタンスによってかなり異なります。上記の最大ユーザー数は、単に表記的な数字です (Masto.Host - Mastodonインスタンスのホスティングサービス)
The number of users that each instance can accommodate vary greatly. The up to number of users mentioned above is merely indicative. (Masto.Host - Hosting for Mastodon Instances)

全ての他の問題は、両者間の常識の範囲内で解決されるでしょう (Masto.Host - Mastodonインスタンスのホスティングサービス)
All other issues will be solved using common sense between you and me. (Masto.Host - Hosting for Mastodon Instances)

100ユーザーまでの利用が保証されているわけではない。サーバ管理者の感覚的なものに過ぎない。何か悪いことでもしていない限りだいたいこんなもんでしょ、という数字でしかない。何が悪いことかはわかるでしょ常識的に考えて、と。
ただ、ここで「常識」という言葉をとって、限界鯖の利用され方が常識とはかけ離れているという批判も一部で出ているけど、ここでの常識(common sense)は"何が違法であるか"に対しての常識であって、標準的一般的な利用を指しているわけでないことには留意しておきたい。
サーバの管理のMasto.Hostは、それなりの規模の会社が行っているものとばかり思っていたけれど、どうやら個人運営らしい。それを聞くと、あまり責めるのもなあという気がしてくる。
きっとこういうことだろう。マストドンというビッグウェーブの到来に、ポルトガルの青年は安易にビジネスを始め、一方で日本では安易にサーバを借りてインスタンスを立ち上げた。それぞれの想定が甘く、トラブルに対処できなかった。まるで100ユーザーまで定額であるかのような誇大表示をし、サーバ停止までの強硬手段を取ったMasto.Hostの非が大きいように私には思えるが、限界鯖側が無過失だっとは言い難い。きっとこうしたトラブルは今後も増えるだろう。マストドンに限ったことではない。ちょっとした知識を行動力さえあれば、できることは広がっている。コンピュータの発展に伴い、思い立ったことを実行に移す物理的障壁は年々小さくなっている。インターネットは簡単に国境を越え、小さな思いつきも世界に伝播しうるようになった。目の前に架けられた橋を利用しない手はないが、そのリスクを正確に把握することはあまりに難しい

マストドン 雑感

私はpixivのpawooを主に使っているんだけど、なかなか面白いなあと思う。それはサービス自体を楽しんでいるというよりも、新しいサービス、そのコミュニティを眺めているのが楽しいということであって、興味深いという言葉を使ってもいいかもしれない。意識の高い人たちを中心に、今はまだマストドンというサービスそのものについて、あるいはそこでのコミュニケーションについて語っている人が多く、私はそれを楽しんで読んでいるけれども、マストドンが「新しいサービス」でなくなればそうした言及も減ってくるはずで、そうすると私がログインすることも減っていくんじゃないかとは思う。
アーリーアダプターとかアルファなんとか系の人たちは、インターネット黎明期だとか初期のTwitterだとか、そんなものを懐かしがりながらマストドンを楽しんでいるようだ。曰く、マストドンでは糞リプが飛んでこないやら、人目を気にせずに書き込めるやら。でもそれはマストドンによる面白さではない。まだ馬鹿に見つかっていないというだけに過ぎない。そんなに馬鹿が怖いのならもっとクローズドなサービスを使えばいいのに、何故か彼らはオープンなサービスをばかりを好んで、それも同じIDを使い、当然馬鹿に見つかっては息苦しいと繰り返す。だから彼らの語るマストドンの魅力は「まだ馬鹿に見つかっていない」という点に過ぎず、それはマストドンの特徴でもなんでもない。
マストドンの特徴としては、インスタンスの分散と、ローカルタイムラインの存在が挙げられる。TwitterTwitter社が、はてなハイクはてな社が運営しているサービスだが、マストドンは一社により運営されるものではなく、自らのサーバーにインスタンスを立てて各企業・個人がそれぞれ運営している。そして各インスタンス全体の投稿を眺めることができるのがローカルタイムラインである。ローカルタイムラインが素晴らしいのは、自分でフォローしていない人の投稿が勝手に流れてくるところだ。それは登録したばかりで誰もフォローしていない状態でも楽しむことができるということであり、そして自分が好きこのんでフォローすることのないような人の投稿も目に入ってくるということでもある。他のインスタンスがどうなのかはわからないが、pawooのローカルタイムラインではたくさんのイラストが流れてくる。エロ絵も少なくない。下ネタも多いし、頭のおかしい人も少なからずいる。そうした投稿を軸に生まれるコミュニケーションも見られる。私のTwitterタイムラインでは見られない現象だ。そうした動きが垣間見られるのはマストドンならではの魅力だと思っている。
実感として投稿数が増えてはいないけれど、pawooのユーザー数は増え続けているらしい。一般に、ユーザーが増えると「濃い人」たちの濃度が薄まっていくはずだけれど、イラストを中心としたコミュニティであるpawooらしさは一層色濃くなっているように見える。おそらくは私のような中途半端なユーザーがだんだんと飽きてきたんだろう。きっとこれから新しく始める人たちは、マストドンインスタンスのひとつとしてpawooを選ぶのではなく、pixivの新しいコミュニケーションサービスとしてpawooを始める人たちが多くなるだろう。それこそが正しいマストドンの使われ方なんじゃないかと私には思える。
マストドンTwitterの代替サービスではない。もっと小規模な、乱立する趣味のコミュニティサービスであるべきじゃないかと思える。そのほうがローカルタイムラインがタイムラインとして機能しやすいし、コミュニケーションも活発になる。だからはてなインスタンスを立てるべきとは思えないし、サイバーエージェントが立てるというのも懐疑的だ。クックパッドが立てるというなら歓迎したいし、テレビ局が立てても面白いんじゃないかと思う。実際に、大手よりもテーマの設定されたインスタンスのほうが、ユーザーあたりの投稿数が多いというデータも出ているらしい。もちろん雑談鯖があってもいいだろうけど、それならばTwitterのほうがずっと使い勝手がいい。わざわざマストドンを選ぶ理由があるだろうか。運営側にとってもサーバ代だって馬鹿にならない。テーマの定まった趣味のコミュニティと比べると、広告単価も下がるだろう。企業による本業との相乗効果も考えにくい。おそらくマストドンの目指すべきところはそこじゃない。
マストドンインスタンスとしてpawooを選ぶ人よりもpixivのコミュニティサービスとしてpawooを始める人が増えるだろうということはさっき書いた。マストドンマストドンである必要はだんだんとなくなっていくかもしれない。もっとマストドンらしくないマストドンが出てくると面白いんじゃないか。たとえば、よくできたwordpressサイトはそれがwordpressであることを意識させない。いずれマストドンらしくないマストドンも出てきてほしい。それが技術的に可能なのかどうかわからないけれど。そういえば昨夜あったらしいマストドン会議、ブクマだけして見ていないけれど、まだ見ることはできるのかしら。

 

面白くはあるけど

そんなに面白いだろうかという疑問がまず私にはあって、しかし"そんなに"ってどれくらいだよ定量化しろよボケがと言われてしまうと返す言葉もなくこのエントリーは終わる。
2017年冬アニメで一番の話題をさらったのは「けものフレンズ*1だった。可愛らしいキャラクターの、ごく王道的なストーリーが、チープなCGで描かれた作品だ。それはたしかに面白い作品だった。奇抜な物語展開ではない。各回も、全体を通しての進行も、オーソドックスな展開がとても丁寧に描かれている。それは画作りの残念さとは対称的だった。映像が残念であるがゆえに余計に物語が映えて見えたのかもしれない。CGは残念だった。動きは大味で、背景は空疎だった。ハァハァするサーバルちゃんのおなかの動きには製作陣の熱意を見たが、まぁそれくらいだった。
そんなけものフレンズTwitter中心に異様に盛り上がった。所謂けもフレ構文。"すごーい "とか、"たのしー"とか、そういうやつだ。"○○なフレンズなんだね"という構文は煽りにも使い勝手が良さそうだったが、実際には肯定的な使用が目立った。私の想像以上に作品が愛されていたということなんだろう。はじめはネタかと思っていた。たしかに面白い作品ではあるけれど、そんな全肯定すべきものではないだろうと。ところが最終話前後での盛り上がりが異様だった。あれはネタではなかった。マジだったんだ。いや、はじめはネタだったのかもしれない。それがいつからか作品に惹きつけられ、本気でカバンを心配し、最終話を待ち焦がれ、そしてこれからも続く二人の冒険に安堵したんだろう。
ネタかと思っていた"すごーい"。そのミームから作品に入った人も多いだろう。私は、いったいどんな馬鹿みたいなアニメなんだろうと思っていた。けれども実際に視聴すると、そんなネタフレーズを連呼するものではなかった。ミームからの想像よりもずっと真っ当なアニメだった。どうして彼らの脳は溶けてしまったんだろう。

例えばミライさんのメッセージを真剣に聞いて理解しようとするかばんちゃんの横ではサーバルちゃんが「よくわからなかったねー」と言っている。これは「視聴者は全てを無理にわからなくてもいいよ」という暗喩になっていると思った。わかるフレンズもいて、わからないフレンズもいて、みんながどったんばったん大騒ぎして、わからないフレンズがわかるフレンズに「君をもっと知りたいな」と言える。そんな世界がジャパリパーク

けものフレンズという神話 - さよならドルバッキー

 


このレビューを読んで納得した。そうか、わからないことがこわいんだって。
アニメを見ても、そこに描かれているものすべてを理解することなんでできない。すべてどころか、理解できていないことのほうが多いだろう。仮に理解できたとして、それを言語化するのがまた難しい。だけれど、インターネットに散見されるレビューではしばしば素晴らしい考察が記されている。自分にはそんなもの書けない。だからネットに作品の良さを書き込むことはない。それだけじゃない。みんなレビューに書かれていることを理解した上で鑑賞しているのかもしれない。アニメを見て、自分だけがその魅力を理解できていないのかもしれない。だってあのセリフ、何のことだかわからなかった。きっと自分には作品を見る資格がないんだ。もしかするとそんなことを考える人もいるのかもしれない。そこまで悲観的でなくても、よくわからないことをよくわからないまま放置して楽しむことができないという人は、きっと少なからずいるだろう。だとすると、けものフレンズはそういう人たちにとって福音だったのかもしれない。
"すごーい""たのしー"という言葉があふれる。小難しい講釈を垂れる必要はない。たった四文字の記述がレビューとして成立する。今まで伝えたくて、でも出てこなかった言葉は、たった四文字で十分だったんだ。そうしてはじめて呟かれる、"すごーい"。その気持ちを共有する喜び。アニメから得られた体験が、さらにアニメ自体への評価を上げることに繋がっていったのではないか。今思えば"ガルパンはいいぞ"も同じだったのかもしれない。多くの鑑賞者が競ってその言葉を呟いた。今回はテレビアニメということもあり、その広まりはさらに大きかった。作品を評価するハードルが下がることで、多くの高評価が集まり、その共有がさらに作品の評価を高める。
その現象を気持ち悪いとする評価*2が出てくることも理解できる。一歩離れたところから見ると、その熱狂は異様に見える。アニメの評価は、そのアニメ作品自体のみに拠るものでなければならないのか、そのムーブメント等を含めて評価すべきなのか、という問題もある。含めないとして、社会風刺や他作品のパロディはどうあつかうのか。いったい誰が適切に切り分けて評価することができるんだろうか。

新宿 グッドビュートウキョウ

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画像は東京都庁展望台レストラン。新宿は都庁45階からの眺めを見ながら食事が採れる素敵スポット。しかし当然に屋内よりも屋外のほうが圧倒的に明るいので、露光を食事に合わせると外の景色は真っ白に飛んでしまう。両方を同時に写すためには、めちゃくちゃ照明を焚いて屋内を明るくするか、HDRとかいう糞みたいな合成技術を使うかするしかない。

HDRというのは、暗いところと明るいところ、それぞれに露光を合わせて2枚の写真を撮り、それをコンピュータで上手いこと帳尻を合わせて、どっちも綺麗に写す技術。なんかよくわからない謎技術だけど、我々がその光量の違いを意識せずに目視することができるのは、似たようなことをあっという間に自動で処理しているからであるはずで、人間の身体はものすごい。人体作った奴マジ神。とはいえは写真を撮るからには、肉眼に見えたのと違ったものが残せるからこそ面白いんだということも言える。個人的にはコントラストの高い写真のほうが好き。背景なんて飛んでしまえばいいんだ。

食べたのは鮭とイカのスパゲッティ。麺が異様に細かったので、正確にはスパゲッティではなく別の名称があったんだと思う。そういえばメニューには見慣れない片仮名が記されていた。でもそんなことは食事の美味しさの前では些細な問題に過ぎない。スパゲッティの画像が無いのも大した問題ではない。