ここにタイトルが入ります

今会社から電話が入って、暇だから直帰しちゃえの指示が出たぞやっぽい!とか呟こうとしてしまったけど、そんなことするとあれでしょ?検索されて垢バレするんでしょ?知ってる知ってる。しかしよくよく考えると、ブログに書いたことが見つからないで、Twitterのほうが見つかりやすいって、もしそれが本当ならインターネットの構造がちょっと歪になってきているよなあとか思う。もし本当ならの条件がFである可能性も十分あるわけだけれど。
思考の前提となる認識が間違っていたら、どんなに考え尽くしても正しい結論は得られない。当たり前のことのようではあるが、だがしかしちょっと待ってほしい。はたして私は何かに対して真に正しい認識を持っているものなどあるだろうか。よく死に損ないの爺さんが心配する親族に対して、自分のことは自分が一番良くわかっているみたいなことを言う。本当に言うのか知らないが、そんなシーンをドラマでよく見る。具体的な作品名は挙げられないけど何度かみたことあるような気がする。もうそういうのがよくある体にして話を進めよう。爺さんはよくわかっていると言うけど、私は自分の体のことなんてちっともわからない。自分の体温も血圧も心拍数も血糖値もわからないし、それが普段と比べてどうなのか、標準値と比べるとどうなのか、ちっともわからない。腹が減っているのはわかる。体がエネルギーを欲しているんだ。そう思ってモリモリ食べるとブクブク体重が増していく。どういうことだよ、もっと食べろという合図じゃなかったのかよ。もうお前が何考えてるのかわかんないよ。
オーケーわかった。人体の神秘は現代科学でも解き明かされていない部分が多々ある。ここで例示には不適切だったかもしれない。もっと馬鹿でもわかる例を挙げよう。"1+1"はいくつだろう。これならどんな馬鹿でもわかる。答えは"2"だ。何故か。それは1に1加えたものを2であると定義したからだ。どんなときも例外なく答えが定まるので抽象概念は便利だ。だけれど、である。我々は本当に1を正しく理解しているんだろうか。たとえばよくある話題に、"0.99999…=1"なのかというものがある。1を3で割ったものが"0,33333…"であり、その3倍が"0.99999…"なのだから当然に"0.99999…=1"だと言われる。本当にそうだろうか。"0.99999…"は1よりも"0.00000…"だけ小さいはずではないだろうか。近似ではあるけど、イコールではないんじゃないの? そう言われたら返す言葉がない。私は"0.99999…"が1であることを知っているだけであって、理解してはいない。
実は私は"1+1=2"でさえ真に理解してはいなかったんだ、という極論を言っても仕方ない。すべてをすべて正しく理解することはできないんだから、複雑な事象を考えると、微々たる間違いが重なっていって、導き出される結論がどうしてもズレてしまうことがある。あるいは、理論上は正しいはずなのに、現実はそれに重ならない。だからといって理解を深めようとする試みが無駄だというわけではないけど、途方もない道程に嫌気が差すこともあるよねという話。

増田日本語認証問題

はてな匿名ダイアリーというサービスがあって、その英語表記anonymous diary(アノニ"マスダ"イアリー)から増田と呼ばれている。サービスを増田と呼び、そのユーザーも増田であり、さらにはコンテンツも増田なので厄介。つまり、増田が増田で増田を書く、ということ。わかりにくい。

その増田が数年来スパムに悩まされていたんだけど、先日ついにはてな社から有効な対策が打たれ、スパム撲滅に成功したようだ。多くのユーザーが喜びの声を上げているんだけど、本当にそれでいいんだろうかという話。
「いいんだろうか」というのは、「いいわけねえだろ糞ったれが」を意味する反語では決してなく、本来の意味での疑問。いいのかなあ。どうなんだろう。
 
 
増田へのスパムは結果しか見えない。はてなハイクや、今は亡きはてなスペースでは運営とスパマーとの奮闘の様子が垣間見えた。それはつまり、はてな社は何もスパム対策をしていないわけではないということだ。
はてな社はスパム投稿を放置していたのか。否。スペースでは通報したスパムは翌日には消えていた。問題は数が多すぎることであり、通報による削除ではとても追いつかない。
はてな社はスパム投稿を行うアカウントを放置していたのか。否。スペースではスパム投稿を行うアカウントが消えている様子が確認できた。そして日々新しいアカウントからスパム投稿が繰り返されている。しかし数週間程度生き延びているアカウントが存在しているのもまた事実。
はてな社はスパム投稿を防ぐ措置を何も取ってこなかったのか。否。増田やハイクでも、あまりに短時間での連続投稿は制限されている。スパムが疑わしい投稿に関しては、画像による認証を行い、機械投稿によるスパム行為を防いでいる。問題は、どうやらスパム投稿が機械投稿ではなく、人力によるものじゃないかと思われることにある。

hungchang 近田 CommentsAdd Starsabacurryc_shiika

はてなスペースのスパムがまた私のフォローしているスペースに戻ってきていて、あれだけムラがあるってことはプログラムじゃなくて手作業で投稿しているってことなのかしら。ってことを書こうと思って開いた。
私が人力によるスパム投稿を疑ったのは、スペースでのスパム投稿先に大きくムラがあったことによる。はてなスペースは、ジャンルごとに板やスレッドのようなもの(スペース)があり、そのスペースに書き込んでいくかたちをとる。機械による自動投稿であれば、予め決められたスペースや、その時もっとも投稿数の多いスペースにひたすら書き込まれ続けるはずだが、実際のスパムは違った。一度ターゲットとされたスペースも延々と投稿され続けるのではなく、スパム投稿にはムラがあり、場合によっては数日間が空くこともあった。その間には別のスペースがターゲットにされていた。
自動投稿ではなく人力によるものだから、画像による認証も意味を為さない。CAPTCHAというらしいが、これはコンピュータによる自動投稿を防ぐことには有効だけど、PCの向こう側にいる人間の手によるスパム投稿には意味がない。はてな社の講じてきたスパム対策は、人力によるスパム行為にはあまり効果が上がらなかった。たぶんそういうことなんだろうと私は考えている。
 
機械投稿を弾くシステムではスパムを廃すことができない。それではてな社はどうしたか。非日本語ユーザーの投稿を弾く措置を取った。
これはエイプリルフールに一度取られた対策だった。そして、私はその時にも同じことを書いた。
はてな匿名ダイアリーに「はてラボセンター試験認証」を導入しました - Hatelabo Developer Blog

効果があったためって、なぞなぞ認証は前からやってるじゃないですか。/ 機械入力を弾くのではなく、非日本語文化圏からの利用を弾くかたちになってしまっていて、本当にそれでいいのかという感がしなくもない。

2016/04/02 20:14

b.hatena.ne.jp

非日本語ユーザーを追い出すことは必ずしも悪いことではない。おそらく利用規約は日本語でしか書かれていないはずであり、利用するためには規約を理解している必要がある。日本語を理解していない(≒規約を理解していない)ユーザーがサービスを利用できなくする措置が、間違いだとは言いにくい。
言いにくいところではあるが、利用言語によってユーザーを選別するというのは、やはり気分の良いものではない。リアルにそんな店舗があったら胸糞悪い。リアル店舗では言葉が通じないことでのコミュニケーションコストの上昇という実害もあるが、インターネットでの投稿にはそれもない。たまたまスパムを投稿しているのが非日本語ユーザーであり、非日本語ユーザーがスパマーしかいなかった。だからスパムを追い出すために、非日本語ユーザーを追い出すという方法を取った。それは倫理的に好ましくないように思える。
倫理的に好ましくない行為を私企業が行ってはならないということはない。公共団体ではなく、一営利企業に過ぎない。倫理的に好ましい行為を取り続けなければならない決まりなんて無い。自らの利益のために、グレーな行為を取ることだってあるだろう。法が許す限り、どんな手段を取っても構わない。自らの利益を最大化することが、全体の利益を最大化させる。それが市場社会である。だからはてな社を責める気はない。だけど、本当にこれでいいんだろうかという疑念は拭えない。

10年ぶりに眼鏡を買った話する?

10年のあいだ大事にひとつの眼鏡を使い続けてきたんだとかいうわけじゃなくて、そもそも眼鏡なんて必要なかったんだよね。眼鏡が必要なほど目悪くないんだ。じゃあなんで眼鏡を買ったのかというと、若気の至りってやつだ。
眼鏡キャラ。元気な天然キャラが主人公なら、体育会系のイケメンと、蘊蓄を語りたがる眼鏡が、その両脇に置かれがちだ。その眼鏡のほう。無鉄砲な主人公の言動に対して正論を吐いては眼鏡クイッてやるやつ。あれがやりたかったんだ。できるだけイラッとする感じにしたかったから、緑の太縁のオシャンティなやつを買った。我ながらイラッとする。「こういうの誰が買うんだろうと思っていたけど、近田さんみたいな人が買うんですね」って後輩に言われた。たぶん本来はもっとオシャンティな人が買うものなんじゃないかとは思う。「オシャンティ」ってなんとなく嘲笑的なニュアンスが込められているイメージだったけど、検索してみてもそんな記述はどこにも見られずちょっと驚いた。
視力云々以前に眼鏡が欲しいから眼鏡を買ったのではあるが、せっかく安くない買い物をするのだからと視力を測って矯正のあるレンズを付けた。いくらか視力が低下している自覚はあった。PCを買って使い始めた頃だったので、その影響もあっただろう。しかし、測ってみると意外にも近視はほとんどなかった。そのかわりに乱視があった。乱視が何であるか、それは未だによく理解できていない。丸いはずの眼球が歪んでいるからどうこうとかいう話だったような気がする。知ったところで視力が回復するわけでも、何か対策を取ることさえもできないんだからどうでもいい。とにかく、近視ではない何かであることは確からしい。その乱視用のレンズを入れてもらった。
矯正の入った眼鏡をかけると、たしかによく見える。なるほど、離れたところの文字も見えやすい。だけど、視力に不便があったわけでもないし、はっきり見えるようになったところで世界が変わったりはしない。比べるとたしかによく見えるのだけど、比べなければ気付かない程度の違いしかない。眼鏡を装着していることの違和感のほうが大きかった。眼鏡を外しているほうが楽だった。眼鏡をかけるのは、遠くの文字を読む予定のあるときと、眼鏡クイッをやりたいときだけになった。
ゼミ合宿のようなイベントがあった。正確にはゼミでもなんでもない。教授と仲の良い人たちが集まって旅行に行っただけだ。学園祭期間のあいだ教授が暇だったので企画された旅行だ。なのでまともにサークル活動を行っている人は除外された企画だった。そんな日陰者ばかりが10人くらい集まって奈良に行った。そこで事件は起こる。紛失したのだ。おそらくはクイッした眼鏡を外してどこかに置き、そのまま放置してしまったんだろう。どこに置いてきたのか、まったく記憶になかった。心当たりもないんだから探すこともできず、かといって、訪れたところを手当たり次第に電話で問い合わせるほどの愛着を眼鏡に抱けてもいなかった。いくらか残念ではあるが、眼鏡は諦めることとした。眼鏡の購入から一ヶ月足らずでの出来事だった。
あれ以来、だいたい10年ぶりくらいに眼鏡を買った。

知らなくても選択しなければならない問題

なんかはてなブログからメールが来て、1年前のブログを振り返ろうとか言ってるわけ。あーはいはい、とか思いながらも挙げられているのが知らないと検索できない問題 - 殴る壁で、ああそうだなと思うところがあったので書き出してみる。

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というのも、だ。最近はてなでは大学中退した人が話題じゃないですか。妙に叩かれているじゃないですか。叩かれているというより、馬鹿にされてる、かな。どっちでもいいけど。
俺だっていろいろ言いたくはなる。自分の意志で選んだ大学はダメだったのに、今度の「事業」だっていったい何が違うんだとか。在学中に起業して退学した実業家は多いけど、退学するのはだいたい事業が軌道に乗ってからだろとか。でも俺だってそんなこと言える立場じゃないわけだ。俺だって楽して好きなことだけして生きていきたい。別にレールを上を走って成功したわけでもない。くだらないと思いながらささやかな抵抗を繰り返してきた。知識もないのにやりたい分野に飛び込んだり、経験もないのにスタートアップに参加したり、その結果がこのザマなわけだ。
いや、俺の話はいいんだ。そうじゃなくてさ。結果論として間違った選択ってのはどうしても出てくるんだ。そして往々にしてそういう選択は、傍目から見ても間違っている。*1 だけど当の本人だけがそれをわからない。理解するだけの知識も経験もないんだから。

 

学生時代に人脈作っとけとかクレカ作っとけとか、そういう話はよく出回っているんだけど、こういう健康リスクの話はあまり多くない。あと、フリーランスは営業や雑務が必要になるから、好きなことだけしたい人は会社勤めのほうがいいよみたいなことをモフモフ社長がよく言ってる印象だったけど、検索するとそんなに言ってなかった。

 

こういう情報って働いている人にはある程度想像のつくところではあるんだけど、そうした選択を迫られるときって概してまだ若い。高校生や大学生だったり、働きはじめて間もないころであることが多い。*2 どんな仕事が、働き方があるのか、どんなメリット・デメリットがあるのか、自分にはどんな適性があるのか、ほとんど何もわからない。しかも質が悪いことに、本人は「わかっている」と思いがちだ。そりゃあ今までに怪我も病気もしたことがないと、健康リスクなんて言われても、健康管理には気をつけようくらいにしか思えない。でも選ばないといけない。マジ無理ゲー。そりゃあ若者も保守化するわ。
だから間違った選択を我々は嘲笑うべきではないと思うんだ。目指すべきは、レールを外れても戻ることができるようにすることだったり、勤務先への依存が強すぎるクレジットスコアの評価形式を改善したり、働けなくなったときのためのセーフティーネット整備を進めたり、だ。間違った選択を間違いでなくしていく。そういうことこそ必要だと思うんだ。

*1:極端に期待値が低いくらいの意味。必ずしも失敗が約束されているというわけではない。

*2:逆に齢をとってからだと選択肢が狭まる問題もある。

カレー屋

インド人っぽい人のやってるカレー屋って、店構えとかメニューとかどこの店もすごくよく似てるのに、味は全然違うから不思議。先週は湯島かどこかに行ったので、たまたま目にとまったカレー屋に入ったんだけど、その店はハズレだった。何がハズレなのかというのを上手く言語化することができないんだけど、あんまり美味しくなかった。美味しくないことはないんだけど、1000円近く払って食べるほどの味ではないよなあという印象。世の中1000円も払えばだいたいもっと美味しいものが食べられるじゃないか。

南アジア系のカレー屋は、2カレー+ナン(またはライス)+サラダで900数十円という店が多い。1カレーだと800円台。ナンがおかわり自由だったり、飲み物が付いたり、デザートが付いたり、そのあたりは店によって微妙に違う。家賃水準によって違うのかもしれない。郊外店のほうがサービスがいい印象がある。価格設定はほとんど変わらない。どうしてこうも似ているのかしら。悪徳ブローカーがどうこうみたいな話もあるけど、それにしても扱う地域が広過ぎはしないか。
最近の持論としては、ネパール国旗を掲げている店は美味しいことが多いというものがある。それを裏付けるにはまだサンプルが少なすぎるところではあるが。ネパール国旗を掲げる美味しいカレー屋のサンプルのひとつが、家の近所にある。やはり1000円弱で2カレーセットが食べられる。ナンはおかわり自由で、飲み物も付く。先日仕事が早く終わったので、数ヶ月ぶりにそのカレー屋に食べに寄った。この店はだいたいいつ行っても店内はすいている。その日は先客が一人もいなかった。たしかキーマカレーとほうれん草のカレーを食べたような気がするけど、まあそんなことはどうでもいい。相変わらず美味しかった。ナンの残りが減ってくると、店員からおかわりするかを聞いてくるのはありがたい。あとは、もう少しくらい店員が日本語を話せたらいいんだけど。
その日は私が店を出るまで新しい客が入ってくることもなく、終始一人きりだった。いくらなんでも客入りが少なすぎる。駅から少し離れたところにあり、こんなところで繁盛しているほうが不思議な立地ではあるが、それにしてもこれでは採算も立たないだろうに。これはもしかすると本当に悪質なあれにそそのかされたパターンなのかもしれない。だけど美味しいから潰れないでほしい。
 

見てきた感想

はい。

chikada.hatenablog.com

というわけで早速見てきました。やはり既報で褒められているところは褒められるべきだったし、けなされているところはけなされるべきだった。近年の日本映画を代表する作品かと問われれば首肯しかねるが、最高のB級映画だったとは言っていいと思う。私は好きだ。すごく面白かった。ネタバレになっちゃうけど、ラストでゴジラが親指を立てて溶解炉に沈んでいくシーンは涙無しには見られなかった。
 
ほんとストーリーは糞だった。増田でも既出だけど、一切どんでん返しのないストーリー展開ははすがにどうかと思った。2週間というゴジラの活動停止の長さもあまりにご都合主義が過ぎるように思える。血液を凝固させることで体温の冷却を抑えて活動を停止に追い込む作戦だったはずだけど、凝固させることで温度上昇でなく凍結したのがよくわからなかった。ゴジラの生体リズムまで判明しているのなら、核兵器を利用するよりも、もう1ターン待って矢口プランを確実に成功させるよう各国を説得すべきだし、それは不可能ではなかったんじゃないだろうか。
だけど、その糞ストーリーであっても一切退屈させない緻密な演出プランは素晴らしかった。それは官僚体制や暢気な大衆への皮肉をユーモラスに描いた描写であり、それを象徴的に見せるための過剰なキャラクター設定であり、それを引き立てる大袈裟な演技だ。そうした過剰な演出こそがこの映画の見せ場であって、それゆえ『シンゴジラ』は大作ではなく、B級だと言える。よほどのファンでもなければ、別に映画館で見なければならないような作品ではない。家で寝転がってDVDを見るのでも十分楽しめる。むしろああだこうだ言いながら見るほうが楽しめるのではないか。それができないから、みんなこぞってネットにレビューを書き込んでいるんじゃないかしら。
大作映画だと勘違いするからゴジラの風貌やCGにも違和感が出てくるが、はじめからB級映画なんだと思えば特に気になることもない。しかしどうしてB級映画にこんなに予算が集まったのかという疑問だけはいつまでも残る。

あともはや映画の感想じゃないけど、シンゴジラage「邦画」sageの人はもっと邦画をちゃんと見てほしいなと思う。たぶんTVCMをしているような映画しか見ていないんだと思うんだ。でも私の好きな、そしておそらくは彼らも好きな、邦画はそんな広告予算を持っていない。まずはゲオか、近所のレンタルビデオ屋に向かってほしい。そこで邦画旧作ランキングを見る。知らないタイトルだけど上位にいる作品があったら名作である可能性が高い。それが好きなジャンルであったなら是非一度見てみてほしい。でもその時には、過度に監督で選ばないでもらいたい。たとえば私は行定監督作品が好きなのだが、彼の予算の付いたメジャー作品は概して面白くない。企業もそれなりの思惑があって映画に出資しているのであって、そうした作品では監督の意図に沿った形で映画を作りにくくなってしまっているからではないかと思っている。だから、もし面白くないメジャー作品で監督を評価してしまっているのだとしたらもったいない。もっといい作品がいっぱいある。『シンゴジラ』が面白かったのだって、現代日本社会というコンテキストを共有していたからだと思うんだ。コンテキストが共有できていないと、あのユーモアは伝わらない。私が邦画を好きなのは、海外作品では難しいそうした機微を楽しむことができるからだ。

『シンゴジラ』感想

anond.hatelabo.jp

 

実は私もまだ映画を見てないんだけど、いろんな感想を見るにつれて、だんだんと気になってきている。公開当初はネタバレを忌避するレビューばかりだったので、サスペンス要素の強い作品なのかと思った。だけど、情報が増えるにつれ、どうやらそうではないらしいことがわかってきた。そんなに奇抜なストーリー展開ではないし、その出来を高く評価する声もあまり見ない。では何が良かったのか。それは、官僚制社会の風刺だったり、311の引喩だったり、過去作品のオマージュだったり、そうしたオタク心をくすぐる要素が上手く花開いたんだと思われる。なるほど、これはたしかに気になるが、しかし私に刺さる作品でもなさそうであり、わざわざ劇場で見る必要はないなと悟った。実際シンゴジラを絶讃するのはガルパンおじさんばかりじゃないか。ガルパンも劇場版は未鑑賞だが、テレビ版を見る限りではさほど高評価すべき作品とも思えず、彼らとは趣味が合わないと言わざるを得ない。
しかし、それでも気になる。気になるのは、zeromoon0さんが賞賛していることであり、そして何よりneji-koさんまでもが賛美しているからだ。「シン・ゴジラ」を観に行きました - カリントボンボン この記事で私の中のシンゴジラ像も修正を迫られた。
 

私は「好きなもの」を描いた作品が好きだ。たとえば私の好きな映画に『アイデン&ティティ』という作品があるが、そこでは主人公の敬愛するボブディランが、彼の苦悩に対する道しるべとして登場する。彼が困ったときにはディランが現れ、ハーモニカの音を通して彼に語りかける。ディランは必ずしも正解を明かしたりはしないが、彼の悩みに真摯に向き合い、疑問に答え、導こうとする。逆に言えば、彼の目指す道は常にディランであり、ディランとはそれほどまでに大きい存在なのである。その映画を見て感動し、私もディランを聴いてみたが、そちらは私の好みには合わなかった。合わなかったのに、『アヒルと鴨のコインロッカー』を見てはまたディランを漁り、再度撃沈した。
好きなものを描いたものが好きだというのは、私が積極的に『シンゴジラ』のレビューを読んでいる理由でもある。かつてテレビが世に出されたとき、世界の映像がテレビ放送に流されるのでもう旅行に行く必要がなくなると宣伝された。50年後インターネットの出現においても近い文句が叫ばれた。しかし、そうはならなかった。世界各地の情報が飛び交い、容易に集めることが可能となっても、旅行の意義は少しも失われていない。実際に自分の目で実物を見ることと、他の誰かの目を通して、編集を通して見ることはまったく違うことだからだ。それは同時に、編集を通して見ることが、必ずしも実物を見ることの劣化コピーではないことをも意味する。第三者の解釈を経ることで、一人では気付けなかった見方があり、発見があり、感動がある。ときに誇張され、美化され、虚実の入り混じった描写が、その原風景を想像することが、私を楽しませる。
 
『シンゴジラ』の話題に戻ると、ゴジラのSFXについて、立派だ迫力があるという声と、ショボい低予算らしいという相反する声が挙がっているのは気になるところであり、これは近い将来確かめないといけないとは思っている。おそらくは主に海外映画を見る人にはショボく感じられ、普段映画を見なかったり、逆に低予算映画を見漁っている人には立派に見えたのではないかと想像できる。どんなにショボかったとしても、『アイデン&ティティ』のディランほどではあるまい。あるいは、予算を抑えながら迫力を持たせる何らかの工夫された演出がなされたか。もしそうだとしたら、それはかなり気になる。