融合望む大チェッカーかっぇ地位ダム園烏合湯(回文)

feedlyを整理していて、そういえばはてなの作るRSSリーダーである大チェッカーが、はてなブックマークと融合した云々みたいな話があったなあと思い出したので、ほしい機能を書いてみる。大チェッカー使っていないので、既に実装済みだったらごめんなさい。私の中で大チェッカーは、RSSを吐いていないサイトでも使えることと、作ったリストを公開して共有することがてきることくらいが目立った特徴という印象。



まず欲しいのは、○users以上のブックマークが付いたものだけを吸い上げる機能。たとえばニュースサイトとか、匿名ダイアリーでもいいけど、一日に膨大なページを更新するサイトを全件読み込んでいたら、フィードが溢れてしまって読み切れない。タイトルを見て気になったものだけ読もうとしても、読みたかった他のブログのフィードを見落としてしまいがち。タグを使ったり、複数のリストを使い分けたりすればいいのかもしれないけど、一括管理できたらそのほうが便利。現状としては、サイトではなくはてブの吐き出すRSSを利用することで、同じことはできているんだけど、それだと元ページのフィードは読み込まれないので、もう1クリックして元ページを開かなければならない。それに、RSSリーダーの機能で搭載されれば、閾値の変更がずっと楽になってくる。たとえばサイトのブクマ数が増えてきたから閾値をあげたり、来週はゆとりがあるから閾値を下げてたくさん読んだりとかも簡単にできるようになる。

もうひとつ欲しいのが、未読ブックマークをRSSリーダーに送る機能。よく知らないけど、大チェッカーで読んだフィードをはてなブックマークにアウトプットする機能はきっと既にあるものだと信じている。そうじゃなくて、逆の機能。ソーシャルブックマークは、実際の使われ方はさておき、webページをストックすることに優れている。RSSリーダーは反対で、今この時の情報を読むためのツールだ。ならば未読ページは、ブックマークで保存するよりも、リーダーに読み込ませるべきではないか。ブックマークではわざわざ「あとで読む」タグを開かないと未読ページを読むことはできないが、RSSリーダーでなら、他のフィードを読むのと同じ流れで読むことができる。必ずしも「あとで読む」と連動させなくても、リーダーにアウトプットする機能があればそれでいい。読んでいないぞと勝手なタイミングで通知が届くよりも、こちらの読みたいときに他の読みたいフィードと一緒に並んでいるほうが、ずっと気分よく未読を消化することができると思うんだ。
今日思い付いたのはこれくらいかしら。

寝て起きたらまたお仕事めう

ちょっと前からひなビタの過去ログ*1を追いかけていたんだけど、さすがに疲れたし、もういいかなと思っている。ひなビタとは日向美ビタースイーツ♪とそれを取り巻くプロジェクトのことで、単に「日向美」と「鄙びた」のもじりだと思ったけど、「日向美ビタースイーツ♪」の略称でもあったことに気付くのにはかなり時間がかかった。

 
ことの起こりとしては、まずはてな匿名ダイアリーちくわ生産における疑問を投げかけた記事が書かれる。それに対してブックマークコメントでは多くの知見が集まった。さらにはてなハイクでは考察が進められ議論が深まっ太郎。そんな中で詠まれたハイクだった。
zeromoon0

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ちくわと言えばちくパに決まってるめう

はいはい、萌え萌え。めうってあれでしょ?騙されて社畜ってるかわいそうな子でしょ?知ってる知ってる*2と思っていたけど、人違い、そうじゃないよ、いきなり恋してしまったよ、夏の日の君に。*3
再生して気付くのは、圧倒的な頭のおかしさ。もちろんタイトルの時点でおかしくて、その通り頭のおかしい歌詞が連なるんだけど、問題はそこじゃないんだ。これ、曲がおかしいよね。私が音楽に詳しくないから上手く表現することができないんだけど、メロディーがどこ行ってんのかもよくわからないし、拍なんか完全に行方不明だよね。それがこの勢いで進行していくとか、いくら何でもレベル高すぎるだろ。この歌が好きとか嫌いとかそういう問題じゃなくて、"なんだか得体の知れないすごいものを聞いてしまった"という感覚。これほどまでに良い意味でぶっ飛んだ曲に、良くも悪くも頭おかしい歌詞が付いちゃっていいものなのか。こんな狂った歌のために、これほどの才能が使われてるってすごいことじゃないか。そういう感動があったわけで。
それでひなビタを多少漁ってみたんだけど、当然あそこまでとち狂った曲はなかなか無かったという話。あんなのがゴロゴロ出てきても困るんだけど。基本的にめうの曲はほどよく電波で良い感じではある。

批判面倒くさい

すべて間違いが反駁されるべきかといえば、決してそんなことはない。そんなことはないんだけど、ほとんどが好意的なブックマークコメントで占められているとやはりもやもやする。お前ら疑似科学には大喜びで石を投げるのに、デタラメな日本語解説は放置するんだな。まあ、放置するというよりも、わからないんだろうな。本当かどうか知らんが、はてなユーザーには理系が多いらしい。疑似科学の誤りには気付くことができても、文法の誤りには気付けない。そういうことなのかもしれない。
 
じゃあお前が指摘しろよという話なんだろうけど、正直面倒くさい。別に俺も日本語とか詳しくないし。いちいち調べて根拠を示すだなんてやってられないわけですよ。前に書いた「過去形」批判くらいだったら調べずにも書けるけど、あの程度のことでも何もわかってない馬鹿がいちゃもん付けにやってきた。たしかに助動詞「た」が「過去」ではなく「確認」の意味で使われていると断定したのは私の言い過ぎだった。もしかすると「過去」の意味で使っていた可能性もある。その点だけは私の瑕疵だった。だとしてもだ。日本語の活用に「過去形」が存在しないことは明確な事実で、たとえ「た」が過去の意味だったとしても、あれは連体形である。過去形ではない。そんなのは中学国語の範疇だ。頼むからそれくらいのことわかってくれよ。忘れていても、指摘されたら理解してくれよ。元素記号とか三角関数がわからないというのと同程度じゃないか。
 
そう考えるとNATROMさんとか本当すごいよ。あの人どんだけ丁寧に説明し続けているんだよ。俺程度の教養しか持ち合わせていない人間にも十分理解できるように、しっかりと論拠を提示しながら解説してくれるんだから素晴らしい。どれだけ馬鹿に嘲笑されても、力強く語り続ける姿勢は本当に頭が下がる。俺でも十分理解できているというのは少し話を盛ってしまったところがあるかもしれない。本当はちょくちょくわからないところもある。
よくよく思えば、疑似科学だってきっちりと論理立てて批判しているのはごく少数の人たちだな。大半の人たちは、ただ文句を言い、嘲笑するだけで、理解しているのかどうかも定かでないイナゴに過ぎない。デタラメな日本語解説が跋扈するのも困るが、かといってイナゴが飛び交い田畑を荒らすのも考えものだ。モヒカン族の再興が待たれる。

そういえばこの前

AbemaTVで「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」のアニメをやっていて、たぶん見たことがなかったから2期だったと思う。それを休みの日に、ベッドに寝転んで、携帯電話をいじりながら、ダラダラと見ていた。ここで「スマートフォン」とか「iPhone」と書くのがなんか小っ恥ずかしくて避けてしまうのは何なんだろう。
こんなに可愛いわけがない妹の回想で、大好きだったお兄ちゃんがいつの間にかダメ兄貴になってしまった話が配信されていた。お兄ちゃんに追いつくために頑張ってきたのに。あいつがこんなにダメになってしまったのは地味子のせいに違いない。そして詰め寄る。あんたのせいだ、と。すると地味子は答える。もともとあんなだったよ、と。これは名シーンだと思った。名シーンであるべきだった。
ずっと憧れていた兄。努力を重ねて、ようやく兄に追いついた。するとどうだろう。兄はちっとも素晴らしくない。いったいいつから兄は変わってしまったのか。否。兄は変わってなんかいない。兄だと思ってずっと追いかけていたのは、理想の兄の虚像だったんだと気づく。少女が大人への一歩を踏み出した瞬間である。2時間映画が一本撮れそうだ。
もちろんこれは2時間映画ではなく、ライトノベルを原作としたテレビアニメであって、少女が大人になってしまっては物語が終わってしまうので、そんなシーンにはならないのだが。

画像をアップするがためのTwitter

キャベツ切るやつを買った。なんて呼ぶべきか名前がわからなかったけど、パッケージ見ると「キャベツスライサー」って書いてあるから、「キャベツ切るやつ」でも間違っていないはず。Amazonで買いものをしようとしたら、金額が小さすぎて送料を請求されたから、あわてて買い物かごに突っ込んだんだけど、これが一番高かったというあれ。

 

 

おそろしくキャベツが飛び散る。以前にバイトで似たようなものを使ったことがあるからわかっているつもりではいたけど、バイト先のキッチンと我が家のそれとではあまりに広さが違った。どうやらこいつは流しの中で以外は使えない。

 

 

半玉のキャベツの1/3くらいを切った。これでコンビニで売ってるカットキャベツと同じくらいの量かしら。もう少し多くなるものかと思ったけど、それほどでもなかった。たぶん刃の位置を動かしてキャベツの大きさを調整できるんじゃないかと思うんだけど、まあそれはおいおい覚えていこう。

 

 

キャベツの付け合せに豚肉を茹でた。2食分のつもりで買ったんだけど、気付いたときにはすべて茹でられていた罠。肥いの季節。

鯵の一夜干し

例に漏れず、弊社も圧倒的な人手不足であり、久しぶりに現場に出ているわけです。現場仕事自体は決して嫌いでないので一向に構わない。ただ私が現場に出てばかりでは会社の利益にならない。現場で一人で人の3倍の仕事をこなすスーパーマンなら良かったかもしれないが、生憎一人分の仕事しかさばけない。一人分をしっかりさばけているのかも定かではない。
 
私はね、頭を使った研究をするよりも、こうして体を使う仕事のほうが向いてたんじゃないかと思うんだよ。
 
学生時代、発掘に行ったときの教授の言葉が思い出される。当時は、このおっさん何言ってるんだと思った。お前は体なんか使ってないじゃないか。もう少し働けよ、って。でも今は少しだけわかるような気がする。
まず、いつもと違った仕事をするというのは気分がいいものだ。何をしていいのかわからずに右往左往するレベルでさえなければ、いつもは使わない筋肉を、いつもとは違った脳の部位を使うことは、なかなかに気持ちのいいものだ。同じ仕事をこなし続けたほうが効率が良いというのも理論上は正しいのかもしれないが、それだけではマンネリ化してしまい、仕事がどんどんとつまらなくなっていく。たまには気分転換をはさんだほうがメンタルに良い。
それに、現場仕事をしていると、自分が働いたんだという気がしてくる。終わらないタスクを減らしては増え、減らしては増えと繰り返していくのとは違い、現場ではたしかに仕事をした成果が目に見える。その日の終わりに、ああ今日はよく働いたという充実感が得られる。フィジカルな疲労感が、それをさらに後押しする。
 
私がわかったような気になっているだけで、あの時の教授がどんな心境だったのか、本当のところはわからない。わからないけど、私自身はそう感じている。つまり、私は現場仕事のほうが向いているんじゃないかと思えてくるが、それはきっと勘違いだろうということだ。

つらい

私がこんなにつらいんだということに対して、みんな同じように大変なんだ、という返答は本当に糞で、他の誰がつらかろうと私のつらさは緩和されないし、つらい環境が正当性を得ることもない。
だけど、私も一緒だよ、つらいよね、という言葉が返されるといくらかの慰めになる。与えられた情報はほとんど同じだけど、得られる解釈は大きく違う。どう考えても脳のエラーとしか思えないけど、現実問題として違うものは違う。願わくば、後者の言葉を返したいと思う。でも、どうしてそれがなかなかできない。つらい。