タイトルをつけるとそれが主題みたいに見えちゃうのが嫌なんだよな

ここまでのあらすじ。

文明は腐海に飲まれ、蟲たちが地上を支配するようになった。

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それがどうしたことか、理由はわからないけど、コバエがいなくなった。ゼロというわけではないけど、まあほとんどいない。これはもう人類の勝利と言って良いのではないか。

しかし、何故だろう。

可能性としては、蚊取り線香とスプレーで日に日に少しづつ数を減らし続けることに成功したのかもしれない。あるいは、繁殖箇所を制したことで兵力供給ができなくなったので徐々に減少していったのかもしれない。もしかすると、外すことができずに諦めたユニットバス裏に、隙間から殺虫剤を吹き込んだことで巣窟を殲滅できたのかもしれない。ひょっとすると、私の振る舞いとは関係なく、どこか外で繁殖していたのが何らかの理由によって退治されたのかもしれない。それらの複数要因が重なったのかもしれないし、まったく別の原因があるのかもわからない。

 

 

 

 

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別にいいんだけどさ。上の人間の進路のために、下の人間の進路が狭まる、あるいは遠慮してしまうこと、珍しくないじゃん。萌子がどう思っているかはともかくもさ、その場では言及ないのに男が、女がと騒ぐ必要ある? そんなこと言うなら俺だって美大行きたかったさ。美術教師からも勧められたし、そんな話したことない後輩からも何故か美大に行くんだと思ってたと言われたよ。でもさ、姉が中高私立通って、美大行こうとしたけど落ちて、私大に通ったけど中退して、そのたびに親のぼやきを聞かされてさ、無理じゃん。行けるわけないじゃん。実際金が無いんだから行けるわけない。私大にだって自分で負担しないと行けなかったわけだし。

だからって別に自分が特別不幸な環境だったと言いたいわけではなくて、むしろよくある話じゃんって思うんだ。そんなことは珍しくない。なのにはてなの似非リベが男が女がとギャーギャー言うのがイライラする。作者の意図とか、統計上の差異とか知ったこっちゃなくて、ただただイライラする。ただはてブが嫌いなだけだから仕方ない。

 

 

ところで、理不尽な境遇による妬みのような感情ってけっこう力強くて、若い頃はそれを糧に生きてこれたところがあると思っている。進路が限定されたこともそうだし、家庭環境も、リーマンショックだってそうだ。自分の不幸の原因を他者に押し付けることで、責任転嫁することでつらい現実に押しつぶされずに前を見ることができた。でも、だんだんと気づくんだよね。あのとき別の道を進んでいたって、多少勝率の変動こそあれ、必ずしも上手くいっていたわけではない、って。どんな道を進んだって結局は何らかの苦難にはぶつかる。乗り越えることができるかもしれないし、挫折するかもしれない。挫けてしまったときに、その原因を押し付けられる他者が存在することは、むしろ幸福なところすらある。ぜんぶ他人のせいにできるんだから。自分は何も悪くないままでいられるのだ。

インターネットを見ると、いい年してもまだ自分の不幸を他人のせいにしているような人がたくさんいて、すごいなあって思う。あるいは逆に、若人に苦難を背負わせて成長を促そうとする老害もいる。まあ普通じゃないことを言う人ばかりが目立つのがインターネットというものだから仕方ない。人類にインターネットは早すぎたんだ。腐ってやがる。

部屋すべて線香臭くなってなお

この一週間か、もうちょっとくらい前からコバエがすごい。最初は風呂場を飛び回ってるくらいだったのが、数日前から部屋の中にも複数飛ぶようになって、さすがに耐え難い。必ずかの蠅頭微塵のコバエを除かねばならぬと決意した。

しかし駆除の仕方がわからぬ。別に笛を吹き羊と遊んで暮らしてきたわけではないけど、てかむしろ羊と暮らしているほうがわかりそうだけど、あいにく都市住民なのでそういうのは得意じゃないんだ。昨夏からの蚊を寄せ付けないスプレーはあったけど、これは殺虫というよりも嫌がる匂いを出すものにすぎず、それすら蚊用であってコバエにどれだけ効くものやら。

なので新たな武器をドラッグストアで購入する。おそらくはバルサン的なものを使うのが一番なんだろうけど、そうすると服や布団や、食器類なんかにも薬剤がかからないように養生するか、あるいは使用後に洗い直すかする必要があり、面倒くさい。なのでコバエ用の殺虫スプレーと、蚊取り線香を買ってきた。

最近の蚊取り線香は宙で挟む必要なく、平面上に置いていてもちゃんと燃えていくという話は聞いたことあったけど、商品説明として置いて使うよう記されていることに少し驚く。さらには、使ってみると蚊取り線香1本で、一晩燃え続けていることにも驚いた。そんなに保つものなんだ。そして服がめっちゃ線香臭くなる。

スプレーは直接かけるよりも、水回りやゴミ箱なんかに吹きかけておき、繁殖を防ぐために使っている。蚊取り線香を焚くと、まわりにバタバタとコバエが落ちて、効いているのが一目瞭然だけど、スプレーに効果があるのかはよくわからない。わからないけど、信じて使うしかない。どこでもスプレーしている。洗濯機の裏、下駄箱の中、そんなところにいるはずもないのに。

そうして数晩使うと、たしかにコバエが減少しているのがわかる。だけれど減ってこそいても、殲滅はできていない。こいつらいったいどこから沸いてくるんだ。部屋中のほとんどの空間は蚊取り線香で燻され、繁殖できそうな場所もことごとく滅しているはずなのに。

シュレーディンガーの元気

もう気力を失ってしまったので、文字を打つのも億劫なのです。

 

 

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言語化するともやもやした思考が整理されるという話はあって、それはたしかに大事なことではあるんだけど、だからって何でもはっきりさせればいいってもんじゃあないよね。曖昧であってこそのものだってあったんだ。

久しぶりに食べたラーメン

いつものように昼食を取れる店を探していたら、少し歩いたところに高評価のラーメン屋が並んでいた。なるほど、白楽から反町にかけてはラーメン激戦地なんだとは聞いたことがある。そこにひとつ、見覚えのある店名がある。昔、横浜に住んでいたときに近所にあったラーメン屋と同じ名前だ。同じ名前ではあるが、私が住んでいたのは横浜駅を挟んで反対側であり、つまり同じ店ではないはずだ。たまたま同じ名前なんだろうか。それとも支店かしら。と思ってググってみると、どうやら移転したらしいことを知る。まさに近所にあった店そのものが、今またすぐそこにあるのだ。そりゃあ食べに行くさ。

 

キャベツラーメンを注文する。見覚えのあるおっさんがカウンターでラーメンを作っている。一言も口を聞いたことはないけど、どこか懐かしい気持ちになる。

もしかすると、私が横浜家系が好きでないと言い続けていることを知っている人がいるかもしれない。多くの家系ラーメン店では醤油スープと、そこに浮かべられた油が調和することなく、飲み込んだあとに口の中に油が残るのが好きでないのだ。横浜に住んでいたときには、多くのラーメン屋がありながらそのほとんどが家系であり、そのほとんどでスープと油の不調和があり、それが嫌だった。とはいっても、すべての家系ラーメンが不調和を起こしているというわけではない。吉村家と中島家ではしっかりとマッチしたスープが味わえた。あるいは無敵家や侍でもしっかりと美味しいラーメンが食べられる。ただ後者は、スープのパンチを強めることで強引に油を馴染ませている感があり、本来の横浜家系とは少し違う部類のラーメンになっている。私はそれらをよく「都内の家系」と呼び、横浜家系好きにはしばしば軽蔑されがちだけれど、私は都内の家系のほうが好みである。

 

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さて、反町の中島家、キャベツラーメンである。ひとくち食べてまず思ったのは、こんなに美味しかったっけ?ということだった。おおよそ10年ぶりになるので、どんな味だったと正確に比較なんてできないんだけど、こんなに美味しかった? そもそもキャベツにこんなしっかり味つけられてたっけ? スープ自体が濃厚で、油とも喧嘩することなくまとまっている。昔は「濃いめ」で頼むことも多かったが、今回はすべて普通で頼んで、それで正解だった。最高だった。

しかしひとつ残念なことには、本当に美味しい横浜家系ラーメンを久しぶりに食べてしまったことで、近所にある十分に美味しかったはずの家系ラーメンが味気なく感じられるようになってしまった。

終わってる話

もう寝ようと今、PCを消して思った。動画しか見てないな、って。YouTubeとPrime Videoしか見てない。終わってるな、って。

別に、Twitterはてブがより高尚なものだったかといえば、ぜんぜんそんなことない。まったくない。ないんだけど、文字を読むことすらせず動画しか見てないの、どう考えたって終わってる。

どう考えたって終わってるんだけど、本当か?という気持ちも湧いてくる。動画を見ることは、文字を読むことより本当に終わっているんだろうか。動画より文章が優れているだなんて根拠なくね?

つまりはこういうことだ。動画を見ることは文章を読むより劣っているという無根拠な観念を抱いていることがまず終わっているし、そんな観念を持ちながらもそれに従うことすらせず動画を見ているというのも終わっている。二重に終わってる。

唯一救いがあるとすれば、無根拠な観念に気付いて、でも"終わってなんていなかったんだ"と開き直ることなく、終わっている自分をしっかり直視できたことかしら。

ラーメンが獣臭くない

まずは大勝軒に向かったけども、案の定もう閉まっていたので、ばんからへと行った。ばんからは豚骨系のかなり脂っこくやんちゃなラーメンを出す店で、その名を冠したばんからラーメンは、脂味が強すぎて私は苦手で、いつも豚骨を食べていた。*1

それで久しぶりのばんからラーメンだ。久しぶりと言っても、10年ぶりだ20年ぶりだというわけではなく、何年かごとには通っていて、改元以降にも行っていたはず。元気なおばちゃんがまだ働いていたことに懐かしく思ったような記憶がある。

今日も豚骨を頼んだ。ねぎを乗せて、餃子まで頼んでしまった。久しぶりのばんからに少し昂ぶっていた。

そうして豚骨ラーメンが出てきた。

 

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え。

何これ。

いや、わかるよ。豚骨ラーメンだよね。豚骨ラーメンであることは間違いないよ。でも、違うじゃん。ばんからの豚骨はこんなんじゃなかったじゃん。もっと白かったじゃん。天一の次くらいに泥かったじゃん。もっと尖ってて、獣臭かったじゃん。それがうまかったんじゃん。

店もキレイになっちゃってさ。もっと蛮カラな掲示が貼られてたじゃん。あれどうしたの? えまるじょんって貼ってたじゃん。スープに油を溶け込ませることで、それがうまくなるんだって言ってたじゃん。無いじゃん。エマルジョン無いじゃん。分離しちゃってるじゃん。分離してるから油を直に喉を通過してベタベタするじゃん。エマルジョンどうしたんだよ。思い出せよ。

そうだよな。同じレシピで作ってるはずの柏店があの有り様なんだ。つまりは、作る人が変われば、すぐに味が変わってしまうんだ。そう考えると、いつどこで食べても同じ味のする一風堂とか舎鈴とかってどうなってんだ。

 

*1:つけ麺も同じくらい食べていたかも

個人的にはさ、政治に裏金くらいそりゃああるだろうし、もちろんそれは悪いことなんだけど、そんなにも目くじら立てなきゃならない巨悪なんだろうかという思いがそもそもあった。だから、自分は知らなかった、事務員が勝手にやっていたことだ、という議員の証言ばかりが出てくることのほうがよほど大きい問題であるように思えてしまう。

つまりは、そんなに無能でいいのか、ということだ。

もちろん人には得手不得手があるから、誰もが自分の政治活動資金の流れをすべて把握していなくてはいけないとは言えない。特定の分野には明るいかわりに会計には疎い、だから会計はすべて事務員に任せていて一切把握していない、という議員がいてもいいだろう。でも、そんな議員しかいないというのが問題だ。自民党には、あるいは清和会にはでもいいけれど、自らの政治活動費をきちんと把握できている議員はいないのか。自身の活動費すら把握できていない人間の集まりが、国家の予算を、政策を決めようとしているのか。そんな人たちでこれまでの政治を決めてきたのか。

それぞれ事務員が不正を行っていたという話ではないのだ。清和会が制度としてキックバックを行い、それは不記載とするものだとしていたのだ。その方針すらどこかの事務員が勝手に決めたのだとでもいうのか。もし本当にそうなのだとすれば、ただの無能の集まりでしかない。そんな無能が政治を動かしているくらいなら、もっとずる賢い集まりであったほうがまだマシじゃないか。